Idea Pod :vol.6 久保田沙耶
「カカオ(cacao)」をお題に、
アーティストやミュージシャン、クリエイティブな方々に、大喜利的に創造・創作していただくこちらのコーナー。
第6回目は、アーティストの久保田沙耶さん。幼少期の体験から素晴らしい作品を制作してくださいました!
<久保田沙耶さんのコメント>
「薬指はどこまでも」


小中学生を過ごした1990年代から2000年代はバレンタイン最盛期だった。わたしはとある男の子と4歳から14歳にわたる10年間チョコの贈り合いを続けた。母の運転で彼の家の前まで送ってもらい、ホワイトデーには彼も同じようにしてチョコを家まで届けてくれるという今思えばかなり大掛かりなイベントだった。
日本式バレンタインデーの起源については諸説あるものの、流行しはじめたのはだいたい1960年頃、日本社会に定着したのは1970年代後半頃とされる。日本特有のホワイトデーも1980年代に誕生。そもそもこのバレンタインデー発祥には様々な宗教の関わりがあったことも当時のわたしは知る由もなかった。
バレンタインデーはまるで何かのイニシエーションのようだった。「気になる」ということのしるしにチョコを贈る奇妙な儀式に毎年緊張した。それもあってか肝心の「気になる」という気持ちについて、わたしは真剣に考えるタイミングをことごとく逃してしまった。世間的に「バレンタインデー」と「チョコレート」は明らかに「恋」とセットだったのもあり、ほんとうは名状しがたく捉えどころのない気持ちなのにも関わらず、自分からあれこれ疑問に思うよりもずっと早く「恋」という名前が先にやってきた。言葉によって粗くかたどられた体験は、他人の心とはじめて出会う最も繊細な出来事かもしれなかった。バレンタインデーがもしなかったら私はそれに対して何をしていただろう。
チョコレートの原材料となるカカオは古く紀元前1900年頃から利用され、貴重品だったため通貨としても用いられていた。1520年頃のとある部族においては奴隷1人がカカオ豆100個で取引されていたこともあるのだそう。今日においてもカカオ生産における奴隷労働や児童労働、不安定な豆の市場価格による農家の打撃など、煌びやかなバレンタインチョコレートとは対照的に根深い問題も数多く残されたままだ。
わたしはホワイトデーにチョコレート以外で一度だけおもちゃの指輪をもらったことがある。物として残っている10年間の唯一の証拠でもあり、今も思い出箱に残っていた。宝石の形をした赤いプラスチックに薄い金属、ままごとで薬指にはめて遊んだりしていた記憶もある。そんな幼少期を過ごすうちに、わたしは人には必ずぴったりなだれかがいるものだとかなり極端に思い込むことになる。カカオ100個とひとりの人間、チョコレートとおもちゃの指輪、わたしとだれか、墓と命。何かと何かが等価な状態にあると心から思えることなんてどこまでもありえるはずがないのにだ。
はじめ日本になかなか定着しなかったバレンタインデーがここまで浸透したのには、オイルショックによる不況で小売業界が積極的にマーケティングをしたことが起因している。高度経済成長の終焉とともに日本の資本主義がほぼ完成し、成熟した消費社会になりチョコレートの売り上げが急増した。そんな最中1987年に私は生まれ、毎年母と小売のデパートで相応のチョコレートを選んだ。しかし「贈る/贈らない」の二種類の選択しかなかったバレンタインは14歳の失恋とともに呆気なく終わり、偶然にも今年は「贈らない」を続けた20年目の年にあたる。
小売業者は、製造業者ならびに卸売業者から購入した商品を最終消費者であるわたしたちに販売する事業のことで「最小単位に小分けして販売する」という意味が語源らしい。英語で「小売」は「retail」と言い、re(再び) + tail(切る)から生まれた言葉だ。
この「贈らない」を続けた20周年にふさわしいものとは一体なんだろう。小売の語源に倣って、わたしなりの「re(再び)tail(切る)」をしてみようと思った。チョコレートを包丁で刻んで湯煎して液体にする。指輪を溶けたチョコレートに落としてコーティングし冷蔵庫で冷やして固める。綺麗にかたどられた市販の板チョコレートが液体になっていくさまは、これまで頼ってきた全てのわかりやすい名前や形式たちを溶かしているようでもあった。
もう一度4歳のあの時に戻って、物と心と体のゆれうごく境目で無邪気に遊ぶのを許されたようなここちよさがある。このチョコレートの指輪にふさわしい私はいつかやってくるだろうか。
2020年 久保田沙耶




【Profile】

久保田 沙耶(Saya Kubota)
アーティスト。1987年、茨城県生まれ。筑波大学芸術専門学群構成専攻総合造形、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻油画修士課程修了、同博士号取得。日々の何気ない光景や人との出会いによって生まれる記憶と言葉、それらを組み合わせることで生まれる新しいイメージやかたちを作品の重要な要素としている。焦がしたトレーシングペーパーを何層も重ね合わせた平面作品や、遺物と装飾品を接合させた立体作品、さらには独自の装置を用いたインスタレーションなど、数種類のメディアを使い分け、ときに掛け合わせることで制作を続ける。個展「Material Witness」(大和日英基金)や、アートプロジェクト「漂流郵便局」(瀬戸内国際芸術祭)など、多数参加。
コレデ堂 http://corededo.sayakubota.net/
漂流郵便局 https://ja.wikipedia.org/wiki/漂流郵便局
略歴
1987 茨城生まれ / 幼少期を香港で過ごす
学歴
2010 筑波大学芸術専門学群構成専攻総合造形卒業
2012 東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻油画修士課程修了
2014 City & Guilds Of London Art School留学( research residency artist)
2017 東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻油画研究領域修了
個展/プロジェクト
2010 “fanfare” / AISHO MIURA ARTS (東京)
2012 “melting monster” / AISHO MIURA ARTS (東京)
2012 “incomplete existence” / AISHO MIURA ARTS (東京)
2013 “STAR AND DAY O.K. GOOD THEATRE” / ヒルネタリウム (徳島)
2013 “漂流郵便局” / 旧粟島郵便局(粟島)
2015 “鹿を歯医者に連れて行く” / Island MEDIUM(東京)
2016 “Material Witness” / 日英大和基金(ロンドン)
2017 “私の目には涙がこぼれる”/LUMINE MEETS ARTショーウィンドウ内(東京)
2018 “Time Burns”/AISHO NANZUKA(香港)
2018 “Material Witness”/hpgrp Gallery(東京)
2019 “コレデ堂”/明倫AIR(鳥取)
2020 “ひとはなんていうの”/HARMAS GALLERY(東京)
グループ展(一部省略)
2008 GENIUS FIELD / AISHO MIURA ARTS (東京)
2009 Tokyo Regionalism (ニューヨーク)
2009 EMERGING DIRECTORS’ ART FAIR “ULTRA002″ / スパイラル (青山)
2009 showcase / AISHO MIURA ARTS (東京)
2010 ASIA TOP GALLERY HOTEL ART FAIR 2010 / Grand Hyatt Hong Kong (香港)
2010 TOKUSHIMA LED ART FESTIVAL 2010 (徳島)
2010 青参道アートフェア (東京)
2011 ASIA TOP GALLERY HOTEL ART FAIR 2011 / Mandarin Oriental Hong Kong (香港)
2011 group exhibition / JAUS GALLERY (ロサンゼルス)
2011 LUMINE MEETS ART / LUMINE (新宿)
2012 group show / 銀座三越 (東京)
2013 TOKUSHIMA LED ART FESTIVAL 2013 / (徳島)
2013 Art Basel Hong Kong 2013 / (香港)
2013 00_Gallery Show / AISHONANZUKA (香港)
2013 瀬戸内国際芸術祭2013/ (粟島)
2014 Leather Japan 2014/THOMAS ERBEN GALLERY(NY)
2016 瀬戸内国際芸術祭2016/(粟島)
2016 LUMINE MEETS ART/新宿LUMINE(東京)
2017 明倫AIR成果発表会2017/倉吉市博物館(鳥取)
2018 The Size of Thoughts /White Conduit Projects(ロンドン)
2018 となりの富三郎/倉吉博物館(鳥取)
2019 ものと祈り/倉吉博物館(鳥取)
レジデンス
2013 粟島アーティスト・イン・レジデンス(粟島AIR)2013春期
2015 City & Guilds of London Art School(ロンドン)
2016 瀬戸内国際芸術祭2016(粟島)
2017 明倫アーティスト・イン・レジデンス2017(鳥取)
2018 明倫アーティスト・イン・レジデンス2018(鳥取)
2019 明倫アーティスト・イン・レジデンス2019(鳥取)
2020 明倫アーティスト・イン・レジデンス2020(鳥取)
アートプロジェクト
2013- 漂流郵便局(粟島)
2018- コレデ堂(鳥取)
受賞歴
2014 テラダアートアワード ミヤケマイ賞受賞
パブリック・コレクション
Friedrich Flick Collection
出版
2014 「漂流郵便局」久保田沙耶著(小学館)
2016 「かのひと」作:菅原敏 絵:久保田沙耶(東京新聞出版社)
2020 「漂流郵便局 お母さんへ」久保田沙耶著(小学館)