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【beyond cacao】case3 カカオ体験を拡張するシェフの魔法 by 橋本宏一(セララバアド)

代々木上原のレストラン「セララバアド」のオーナーシェフ、橋本宏一。科学実験のような独創的な料理で知られる「El Bulli」や「Martin Berasategui」といったミシュラン三つ星レストランで世界最高峰のモダンガストロノミーに触れ、マンダリン・オリエンタルの「タパス モラキュラーバー」では総料理長も務めた彼は、一皿の料理に詰め込んだ創造力とストーリーで人々を魅力して止まない。その経験と技術は、カカオにいったいどんな魔法をかけるのだろうか。

 

【beyond cacao】case3 カカオ体験を拡張するシェフの魔法 by 橋本宏一(セララバアド)
独創的な手法を可能にする確固たる技術をもつ橋本は、カカオでどんな世界を作り出すのだろうか
感覚のチューニング

「美味しそうな甘い香りがする」。キックオフのとき、橋本は真っ先にカカオ独特の香りに注目した。彼の前に並べられていたのは、いくつかのカップだ。なかには、挽き方や出し方が違うさまざまなカカオニブの液体が入っている。

 

「煮出ししたカカオニブの香りは、ストレートに美味しそうだなと思う。マテ茶みたいに飲めるかなと思いました」と、橋本は言う。だが、実際にカカオ量を増やしてみると、大きな壁があることに気付かされる。「いっぱいのカカオを煮出して飲んだら、香りはあるけれど酸味がきつくて飲みにくい」

 

バリスタの川野やバーテンダーの野村がプラス面と捉えた酸味が、橋本にとってはマイナス面に映った。その理由は、おそらくプロジェクトの「スペシャリティカカオを日常に」というテーマに対する橋本独自の姿勢にあるのだろう。いかにその飲み物を多くの人の生活に浸透させるかを考えたとき、橋本は一般に想像される「カカオらしさ」を大切にする方向性をとろうと考えたのだ。

 

「一般の人が感じるカカオらしさは、チョコレートの匂いとかココアの匂い。一方、ちょっとカカオに詳しい人にとってのカカオらしさは、カカオニブに感じられるような、酸味や発酵の香りが混ざった複雑な風味だと思うんです」。それゆえに、今回はチョコレートの匂いを前面に押し出し、万人受けしにくい味はなるべく抑えたいというのが彼の考えだ。

 

「日常的に飲むとか、一般的に広めるという切り口のためには、やっぱり少し酸味を抑えた方がいいかなと思いました」。この感覚のチューニングは、モダンガストロノミーという一見とっつきにくい分野の民主化に尽力してきた橋本ならではの視点なのかもしれない。

 

【beyond cacao】case3 カカオ体験を拡張するシェフの魔法 by 橋本宏一(セララバアド)
モダンガストロミーの民主化に尽力してきた橋本がスペシャリティカカオの民主化に挑む
感覚と体験に創造性を宿す

酸味の出方を抑えるため、そしてどのようなアウトプットが最適かを考えるため、彼は実験を始めた。煮出し・水出し、砂糖の有無などを変えて風味を検証したり、オーブンでローストしてみたり、ドライアイスで冷やしてみたり。自らがもてるあらゆる技術と知識を駆使して、カカオをあらゆる角度から探求した。

だが、自らがもつ技術と知識の豊富さに、橋本は逆に苦しめられることになる。専門であるモダンガストロノミーの技術を使えば使うほど、同じことを一般で再現するのが難しくなっていくからだ。まだ見ぬ可能性に手を伸ばそうとするほど、自分が大切にしていた「日常」との乖離が生まれてしまう。

 

そこで、橋本は大胆な方向転換を決意する。日常での再現性にこだわるのではなく、カカオを軸に、自分の持ち味である「ストーリーのある体験」をつくりだすことにしたのだ。

 

再現性という枠を取り払った彼は、カカオという素材に自分の技術を惜しみなく注ぎ込んだ。

 

あるときは、レシチンと呼ばれる乳化剤を使って、カカオから泡のシャーベットをつくりあげた。またあるときは、カカオの液体にドライアイスを入れて煙を溜め、煙に香りを運ばせる戦法をとった。だが残念ながら、どちらのアプローチも橋本が魅力と感じた香りを十分に出し切れるものではなかったという。

 

次に彼が試したのは、液体を球に閉じ込めるという方法だ。

 

使ったのは、乳酸カルシウムとアルギン酸ナトリウム。このふたつを反応させると、液体がゲル状の膜で覆われ、液球が出来上がる。人工イクラをつくるときなどにも使われるこの「球状化」と呼ばれる技術は、橋本が在籍していた「El Bulli」が初めて料理に応用した(『食戟のソーマ』を知っている人ならば、主人公ソーマが「進化系のり弁」に使っていた手法と言えばわかるだろうか)。

 

膜の中に閉じ込める液体はカカオニブを煮出し、加糖したものだ。難題だった酸味は、産地と焙煎を工夫することで取り除いた。使ったのは、ナッツを感じるように発酵が施されたカカオで、焙煎済みのカカオをさらにオーブンでローストしている。さらに橋本は、完成したつやつやの液球の上にカカオニブを散りばめ、食感にもリズムを出した。

 

こうして完成した一品は、口に含むと膜がパンっと割れ、なかのカカオらしい香りとほんのりとした苦味が口いっぱいに広がる。このとき橋本が生んだのは、新たなカカオレシピではなく、新たなカカオ体験といった方が正確かもしれない。

 

【beyond cacao】case3 カカオ体験を拡張するシェフの魔法 by 橋本宏一(セララバアド)
かつてないカカオ体験を生む液球カカオ
広がるカカオの地平線

それでも、橋本は最後まで悩んでいた。

 

「こんなの日常では食べないからね。そう考えるとそれぞれは面白くて、商品として成り立つと思うけど、日常ってなった時に落とし込むのはドリップなのか、何か違うものなのか、新しく提案できるものなのか……」

 

だが、日常と非日常の体験の両方があることで広がる間口もあるだろう。そもそも、わたしたちはカカオという素材のポテンシャルを、ほんの少ししか知らないのだから。

 

そうしたポテンシャルを広めるには、バリスタやバーテンダー、シェフといった多分野の人にいかにカカオを使ってもらうかが重要になる。「カカオ=チョコレートというような先入観があるため、ほかに応用しようという発想は少ないのかもしれない」と橋本が語るように、カカオの可能性の開放は、コラボレーターとなりうる人たちのマインドをハックすることから始まるのだろう。

 

そういう意味で今回の「beyond cacao」は、すでにカカオの地平線を切り拓く3人の開拓者たちを生んでいるのだ。

 

文:川鍋明日香

 

●橋本宏一

【beyond cacao】case3 カカオ体験を拡張するシェフの魔法 by 橋本宏一(セララバアド)

分子ガストロノミーの先駆けとして名を馳せた 「エル・ブリ」で経験を積み、帰国後は「サン・パウ東京」に勤務。マンダリンオリエンタル東京「タパス・モラキュラバー」の料理長として活躍したのち、2015年に「セララバアド」をオープン。世界の一流レストランで培った分子料理のテクニックで、素材のテクスチャーを自由に操り、驚きのあるプレゼンテーションで自然を表現する。