【beyond cacao】case2 バーテンダーが書き換えるカカオの常識 by 野村空人(ABV+)
数多あるアルコールをつなげ、ほぼ無限に等しい可能性からそのときの状況にあった最高の組み合わせを導き出すバーテンダー。必要とされるのは、五感とセンスと試作の繰り返しが頼りの感覚的なスキルかと思いきや、実は論理的思考に依る部分も多いのだという。感覚的思考と論理的思考を武器に、バーテンダー野村空人がカカオという素材と向き合ったとき、そこに生まれるのは果たしてどんな1杯なのか──?

バーテンダーがカクテルを考えるとき、その脳内にはx軸、y軸、z軸からなる立体構図が思い浮かべられている。x軸、y軸に当たるのは<甘み>と<酸味>、そしてz軸にあたるのはアルコール度数が生む<ボディ>だ。
クラシックカクテルと呼ばれる昔からレシピが存在するカクテルは、極めてシンプルな2、3種類の液体で構成されている場合が多い。
例えば、キューバ生まれのクラシックカクテルで、『ゴッドファーザー』などの映画にも度々登場する「ダイキリ」がそのいい例だ。フレッシュライムジュース、シロップ、ラムの3つの材料からなるこのカクテルは、ライムが<酸味>、シロップが<甘み>、そしてラムが<ボディ>を1対1で代表している。その一方、現代的なカクテルは、この三要素をさらに複雑な組み合わせによって実現したものが多い。
バーテンダーの技量は、(意識的だろうと無意識だろうと)この3要素をベースにいかに立体造形を描けるかに大きく左右される。熟練のバーテンダーは、試作をしなくても頭の中で何種類もの液体を使ったレシピを組み立て、その味をイメージできるとまで言われるらしい。
キックオフでカカオの風味に触れた野村は、その酸味に注目し、近年流行っている「モクテル」をつくることを決めた。真似の意味をもつ「モック(mock)」と「カクテル(cocktail)」の造語であるモクテルは、いわゆるノンアルコールカクテルのことを指す。
野村があえてノンアルコールカクテルを提案したのは、健康に良いというカカオのイメージを増幅するためだ。「いまお酒を飲まない人も増えていますが、世界的な流れとして、体に良いなどの何かしらの効能がないと10年やそこらで(流行が)終わってしまうような気がして」
だが、アルコールが使えないということは、<甘み>と<酸味>からなる平面に立体感をもたらす<重み>がないということだ。それでは、カクテルならではの奥行きが足りなくなってしまうのではないか?
そんな疑問に対し、野村は答える。「(モクテルの場合)違うベクトルのものを引っ張ることによって、重さとはまた違った奥行きを入れるんです」。つまり、アルコールを違うもので代替することにより、立体感を出すわけだ。

アルコール度数に変わって奥行きを生む要素として野村が注目したのは、カカオがもつロースト感のある「苦味」だった。
「苦味のベクトルを引っ張ってくると、すごく立体感がでる。複雑味とか、コンプレックスと僕らは言っていますが、それをうまくつくれるとカクテルとして味の決まりどころになるんです」
野村は、カクテルのベースとなるシロップの開発に挑んだ。
まず研究したのは奥行きをつけるためのローストだ。普通のロースティングとヘビーロースティングを試した結果、意外にも苦味が出ない普通のロースティングのほうがイメージにあうことがわかった。「焦げたロースト感や苦味はヘビーロースティングの方が出るんですけど、カカオらしいフレーバーは普通のロースティングの方がよく出たんですよね」
そうしてローストした豆とお湯を一晩つけて細かく粉砕し、布でこす。そこにキビ糖の優しい甘さを足した。
だが、野村のこだわりはここからだ。「最近流行っているカクテルのテクニックに透明化、清澄化と呼ばれるものがあります。それを使ってみたら面白かなと思って」。
野村は牛乳に清澄化の作業を施すことにより、味の複雑さに加え、見た目と味の大きなギャップを生み出した。「あえて牛乳を入れて清澄化させて、透明なココアのようなイメージができたらいいと思ったんです」
今回野村が牛乳の清澄化に使ったのは、レモンだ。ミルクにレモンを入れると、牛乳のタンパク質成分がレモンに含まれるクエン酸を始めとする酸に反応して変性し、容器の底に沈殿する。それを濾せば、透明に近い液体部分が手に入るというわけだ。
さらに野村は、この過程で生まれる2つの酸によって、カカオが持つ酢酸のネガティブな酸っぱさのバランスを取れるのではないかと考えた。
「牛乳には乳酸が入っていて、レモンにはクエン酸が入っています。さらにカカオとの酢酸という3つの酸が合わさることで、酢酸の特徴が抑えられるんじゃないかなという仮説を立てました」。あえて酸を「足す」作業によって、逆に酢酸のネガティブな面を「引く」その発想は驚きだ。
完成したシロップを炭酸水で割ると、カカオとレモンの酸味と、キビ糖の甘み、さらにカカオの苦味による奥行きが合わさった、立体的な味が出来上がった。

野村がつくったシロップは、ロースティングによる苦味の出し方や、優しい甘みを出すためのキビ糖というチョイス、そして異なる3つの酸を組合わせてバランスを取った酸味など、検証に検証を重ねた結果できあがった。
だが、彼はまだ研究の手を緩めない。「つくっているうちに『カカオらしさ』が若干グレーになって見えなくなっちゃったので、どこで『カカオらしさ』が出るのかなという検証はもう一度やり直したい気もして。ちょっとずつ分量を変えながら、短期間でガッツリやりたいという気持ちは正直あります」
さらに野村は、シロップのもう一歩先の拡張性も語った。例えば、まったく違う飲み物とのコラボレーションだ。「酸が立っているから、これにスパイスを足して自家製ジンジャーエールにもできると思う」
また、今回ひとつのカカオ豆を使ってつくられたシロップも、テロワールや品種、製造方法が違うカカオ豆を使えば、まったく違う味に姿を変えるだろう。「シングルオリジンのかたちで個々のカカオの特徴をうまく引き出すような抽出の仕方ができればもっと面白い」と野村は言う。
それぞれのカカオ豆の味わいの特徴を表現するプラットフォームとしての汎用性の高さと、クラフトカカオの用途を一気に広げられる用途のオールマイティさによって、シロップはカカオという食材がもつ味の多様性を広い層に提案できる可能性を秘めている。
また、同じくシロップを考案したバリスタ・川野のアプローチは、素材の良さと悪さを分析した上で、それをシンプルな工程とシンプルな材料によって絶妙なバランスで引きだすものだったのに対し、野村は立体的な思考と丁寧な加減算によってより複雑な味を追求するものだった。
同じ豆を使い、同じシロップという結果を出したふたりでも、そのアプローチが違ったことで全く違う2つの味わいになったという点は、カカオ豆にいかに大きなポテンシャルが隠されてるかを示唆している。
実はその先にあるのは、カカオ農園の変化なのかもしれない。フーズカカオの福村は言う。「いまはチョコレートをつくった時にその個性が分かりやすいカカオが選ばれやすいんです。それが必ずしもカカオ生産側やチョコレート以外の方法でカカオを使う人にとって良い世界ではないということが、このプロジェクトを通じてわかってきました」
最初からチョコレートという完成品を見据えてつくられたカカオが、必ずしも煮出したドリンクに合うとは限らない。例えば、最初から酸を抑えたカカオ豆があれば、野村の計算もまた違ったものになっていただろう。
アウトプットに多様性ができることで、インプットであるカカオにもさらなる多様性が認められ、さらにそれが新しいアウトプットを切り拓く。そんな循環から、カカオの世界がさらに広がるとしたら、そこにある可能性は無限大と言っていいだろう。
文:川鍋明日香
・野村 空人

21歳で単身渡英、7年間ロンドンのバーでバーテンダーとしてのキャリアを積んだ後、帰国。「Fuglen Tokyo」にてバーマネージャーとして活躍しながら、数々の賞を受賞。バーテンダーとしての新しい働き方を示すべく独立し、ドリンクのコンサルティングを手掛ける「ABV+」を立ち上げる。その後、Kyrö Distillery Company のブランドアンバサダーや、渋谷 The SG club のバーテンダーも勤め、 最近では日本橋・兜町にオープンしたホテル K5 のバー青淵 Ao のバープロデュースを手掛けている。