その②「京博、前田珈琲、火伏せの神さま」

 

チョコレートの香りを探しながら日本各地を旅するシリーズ。

京都を巡っています。今回はミュージアムとお稲荷さんとチョコレート。

 

文=今井栄一

写真=チダコウイチ

京都で、行きたいところ。

京都に滞在中は、行きたいところ訪ねたい場所がいくつもあって、大変だ。朝は早起きして鴨川沿いを散歩したい。一乗寺の「けいぶん社」、烏丸御池の「レティシア書房」など、京都にしかない名書店でブック・ハンティングしたい。深夜遅くに白壁町のバー「OIL」に行きたい。できたら「初音湯」でサウナにも入りたい。

Travelogue<br>チョコレートを巡る旅<京都編②> 下鴨神社から鞍馬寺まで、チョコレート経由。
Travelogue<br>チョコレートを巡る旅<京都編②> 下鴨神社から鞍馬寺まで、チョコレート経由。

下鴨神社、貴船神社、鞍馬寺、銀閣寺、南禅寺……、幾度でも行きたい神社仏閣がある。それ以外に、まだ一度も行ったことがなくて「今回こそ!」と心に決めている寺や神社がある。行きたいところだらけだ。

 

三条の「赤垣屋」、錦市場入口近くの「寿司 さか井」、哲学の道の「monk」、下鴨の「グリル生研会館」、市役所前の「広東料理 鳳泉」、木屋町の「なな治」……、絶対行かなくてはならない店がいくつかあって、1日5食しても回りきれそうにない。京都では、1日が48時間必要だし、お腹が3つあればいいのになと本気で思う。

 

行きたいカフェもある。京都は喫茶店の街だ。河原町三条の「六曜社」から南禅寺参道の「ブルーボトル・コーヒー」まで、新旧いくつも、フィーカしたいカフェがある。地下鉄とバスを上手に乗り継いで、東西南北、京都中を巡らなければならない。京都では、寝る間を惜しんで「行きたい場所」のハシゴが続く。

Travelogue<br>チョコレートを巡る旅<京都編②> 下鴨神社から鞍馬寺まで、チョコレート経由。
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「今日はまず、京都国立博物館へ行こう」と僕はカカオ好きな友人を誘う。僕らは5日間ほど、一緒に京都を旅している。彼は、クラシカルな布製のカメラバッグを愛用していて、いつもいろんな写真を撮っている。

 

「京都には建築的にも面白いミュージアムがいくつもある。個性的なギャラリーもね。京博(京都国立博物館)の新旧の建物を見物して、敷地内にある『前田珈琲』で、君が好きなチョコレートを使った『トラりんミニパフェ』を食べよう」

「トラりんミニパフェ?」

「京博限定のパフェで、あのトラりんの顔をあしらっているんだよ」

 

1971年創業の「前田珈琲」は、京都の喫茶店文化を牽引してきた老舗のひとつ。烏丸にある本店は大好きだが、京博店も素敵だ。ちょうどテラス席が気持ちいい季節。街の喧騒をまったく感じない、静かで落ち着ける「前田珈琲京博店」である。コーヒーはもちろん、食事も素晴らしい。濃厚でボリューム満点のナポリタン、ふわふわ玉子サンド。個人的にずっと気になっているのが、赤味噌ハヤシライス。

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平成知新館にはキツネの神さまが住んでいる。

「おはようございます」。

京博の西門前で、開館時間の少し前に待ち合わせたのは、京都国立博物館の総務課事業推進係、近藤雅士さん。今回特別に、近藤さんが敷地内を案内してくれることになっていた。

 

京博には2つの展示施設がある。

ひとつは、赤レンガが美しい「明治古都館」。明治28年(1895年)築のモダンな洋館で、西門(旧正門)や堀と合わせ国の重要文化財に指定されている。設計者は片山東熊。赤坂離宮など皇室関係の建築物にいくつも関わった、当時の日本を代表する建築家だ。

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東山七条のこの界隈には、三十三間堂、智積院など、京都市街地でも特に人気の高い、歴史ある神社仏閣が数多い。そんな「THE京都」とでも呼ぶべきエリアに新しく誕生した、フレンチ・ルネサンス様式をベースにしたレンガと石の建造物は、建てられた当初、(今風に言うならば)かなりポップな存在だったはず(当時「西洋風の建築は京都に似合わない」と反対運動もあったとか)。今ではすっかり七条エリアの顔のひとつである。

 

開館当時とほぼ変わらない建物正面に立てば、明治時代の京都に思いが募る。ロダンの「考える人」彫像のように、しばしその場でいろんな思いが頭の中を巡った。

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もうひとつの展示施設が、2014年秋にオープンした「平成知新館」。重厚な「明治古都館」とは対照的に、ガラス張りの外観は透明感があり、軽やかな印象。ニューヨークの「MOMA(近代樹美術館)」を手がけた、現代を代表する建築家、谷口吉生さんの設計である。インタビュー記事を読むと、「古くも新しくもなく、いつの時代にも合うものであること」と谷口さんは語っている。

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水が張られた正面に立つと、京博のすぐそばにある三十三間堂が頭に浮かぶ。ふたつは、まるで対を成しているように感じられる。時を隔てた双子のように。エントランス前に立ち西の方を見ると、彼方に京都タワーが見える。冬の午後4時頃にこの場所に立つと、水面に夕空が映り込んでとても美しい。

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近藤さんが最初に案内してくれたのは、平成知新館に入ってすぐ左手に伸びる回廊。この細長い空間に千手観音像をずらり並べれば、ここはまさに「現代の三十三間堂」になるだろう。ガラスの壁は、障子や格子窓に見えるようにデザインされていて、それも「三十三間堂デジャブ」という感じ。

 

「京都には木造の建築が多く、しかも町屋のように密集していることが多いですよね」と近藤さん。「火事が一番怖いんです。だから京都には、火から護ってくれる火伏せの神さまがいます。伏見稲荷が有名ですが、それは、お稲荷さん、キツネの神さまなんです。だから京都では、建物を建てるときには、稲荷神社へ行ってお稲荷さんに(火事にならないよう)お守りくださいくださいとお願いします」

 

「ここ、京都国立博物館にも、火事にならないように、火伏せの神さま、お稲荷さんがいるんですが……、それが、この場所なんです」と近藤さんは何やら謎解きのような感じで、僕と友人を、その長い回廊の途中の(ガラスではない方の)壁の前に導いた。

 

「そこに消火栓がありますね。その赤いところから真っ直ぐ上に視線をずらしてみてください。キツネがいます」

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「あ、本当だ!」と友人がびっくりして言った。いる、確かに。キツネがそこに。「これは、意図して作ったんですか?」と友人が近藤さんに訊ねた。

 

「いや、最初なかったそうです」と近藤さん。

「えっ!?」僕と友人は思わずハモりながら問い返した。どういうこと?

「この壁、ドイツの石でできているんです」と近藤さん。なるほど、ドイツの石に、(このような)キツネが描かれていたとは考えがたい。もし落書きなどがあれば、建築前に新しい石を注文したはずだ。

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「この博物館の隣に豊国神社という神社があって、そこにちっちゃな稲荷大社があるんですが、その小さなお稲荷さんと伏見稲荷を線で結ぶと、(壁の消火栓の上辺りの)ちょうどここを通るって言われていまして」

これは、もともとなくて、後から(勝手に)現れた、ということ?

 

「私が(京博に)勤める前に起きた出来事なので、長くいる先輩職員から聞かされた話ですが、ここでは有名な話です。何もなかった壁に、少しずつ浮き出てきて、気づくとそれはキツネの顔にしか見えない。だからここの職員はみんな、お稲荷さんが(火から護るために)ここに来てくれたのだろうね、と言っています」

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前田珈琲でトラりんミニパフェ。

近藤さんは、僕と友人を、「平成知新館」、そして(改装中で今は閉館しているが特別に)「明治古都館」へと案内してくれた。

 

その後、庭にある「前田珈琲」へ。京博限定ブレンド「京」と、「トラりんミニパフェ」をいただく。平日の午前中だからか、人は少ない。ランチタイムになれば、自家製チキンカレーやローストビーフ丼、名物ナポリタンスパゲティ、カストークサンドなど、ここで昼食という人が次々やって来ることだろう。

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岐阜出身の近藤さんは、大学院時代は東京に暮らし。京都に暮らして4年が過ぎた。「京都は空が広くて、気持ちのいい場所だなと思います」と近藤さんは語った。

 

「私も、国内外いろいろ旅をしてきて、各地のミュージアムを訪れてきましたが、自分の見方を変えてくれるミュージアは面白いですよね。ミュージアムにはたくさんの『過去』があります。京博なんて、千年、2千年という『過去の時間』が保存されている場所。人は今のこと、未来のことを語るのが好きですが、過去を見ると、新しい発見や気づきがあると思います。ミュージアムは記憶の場所、先人がいろんなことを教えてくれる。さっきのお稲荷さん、キツネの神さまが、世界の見方をがらっと変えてくれるように、京博が、訪れた人の考え方を少しシフトしたり、新しい気づきのきっかけになれたらいいなと思います」

 

ミュージアムは記憶の場所。確かにその通りだ。メトロポリタン美術館も、大英博物館も、ルーブル美術館も、記憶の宝庫だ。僕らは皆、過去と共に生きている。僕らはいつだって、過去に学ぶことができる。いや、過去からしか学べない。

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近藤さんは言う。

「残す、遺す、って面白いです。未来の人に遺していく、それもミュージアムの大切な役割。ミュージアムが、いろんな価値観を伝え、多様性をメッセージできたらいいなと思います。人々の物差しを広げる手伝いをしたいと考えながら、私は仕事に励んでいます。未来は変われる、変えられる。ミュージアムはそのきっかけになれる」

 

「京都って、皆さんに面白がられる場所だと思っています。皆さん京都が好きで、1年通じて大勢やって来ますよね。京都の市街地ってめっちゃ小さいのに、博物館、美術館がものすごくたくさんあるんです。京都は、人が文化を大切にしている場所だから、ミュージアムに対しても前のめりというか、地元の人たちの気持ちが入っている。みんなに面白がられるもの、新しい価値観が生まれやすい街なんです京都は」

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「東京って、東京の価値観のようなものがあって、それを受け入れないとダメみたいなところがある。ところが京都は、みんな違う方向を向いている。多様性がある。それは私の感覚に合っています。東京は日本の中心で、京都は端っこのひとつかもしれないけれど、大切なものをきちんと遺していこう、という気持ちが京都の人々にはある」

 

「京博でチョコレートを展示するならどうやってやろうかって考えるのは楽しいです。数日前からずっと、チョコレートって何だろう?って考え続けていて、ミュージアムとチョコレートの関係を模索していたら、共通していることがありました、『どちらも保存している』ということ(笑)」。

 

近藤雅士さん、ありがとう。たくさんの気づき、発見をくれた、京都国立博物館だった。

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〈関連記事〉

▶ Travelogueチョコレートを巡る旅<京都編①> 下鴨神社から鞍馬寺まで、チョコレート経由。

▶ Travelogueチョコレートを巡る旅<京都編③> 下鴨神社から鞍馬寺まで、チョコレート経由。

▶ Travelogueチョコレートを巡る旅<京都編④> 下鴨神社から鞍馬寺まで、チョコレート経由。

 

 

 

京都国立博物館

京博ものがたり

前田珈琲京博店

 

 

 

文:今井栄一

旅や人をテーマに国内外を旅しながら、執筆、撮影、編集、企画などをおこなう。FMラジオ番組やPODCAST番組の制作も。著書に『雨と虹と、旅々ハワイ』『Hawaii Travelhints 100』『世界の美しい書店』ほか。訳書に『ビート・ジェネレーション〜ジャック・ケルアックと歩くニューヨーク』『アレン・ギンズバーグと歩くサンフランシスコ』『1972年のローリング・ストーンズ』など。