その④「小豆島の森の中。ハレとケが出逢う場所」

チョコレートの香りを探しながら日本各地を旅するシリーズ、香川県、瀬戸内への旅。その4回目は、小豆島へ。

 

文=今井栄一

写真=チダコウイチ

 

Travelogue<br> チョコレートを巡る旅<瀬戸内編④> 島と海と猫、時々チョコレート。

前回からの続き)

 

僕と友人は船の甲板に立ち、朝の太陽を浴びながら波のない海を眺めている。瀬戸内の海だ。太平洋のようなうねりの大きな外海ではない。静かな内海、インサイド・パッセージ。

 

瀬戸内海には無数の島々がある。まさにアーキペラゴ、多島海。カカオ好きな友人は愛用のライカMで、そんな海と島の風景を撮っている。

 

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瀬戸内を旅することは、船に乗ること、島を巡ることでもある。今朝、僕らが乗っているのは小豆島フェリー。高松港から小豆島の土庄港まで、1時間の船旅だ。大きな小豆島フェリーの甲板は広々としている。季節はずれの船は空いていて、のんびりムード。心地いい。スーツ姿の男性たちは、これが出勤なのだろうか。それとも営業で島に?(毎日船で島に出勤だとしたら、僕にはうらやましい)

 

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醤油と素麺とオリーブの島。

船が小豆島の港に近づくと、島から「ある匂い」が漂ってくる。日本人なら誰もが知っている匂い、日常的に使っているあの香り。醤油の匂いだ。

 

小豆島は醤油の島でもある。島には醤油蔵がたくさんあり、吸い込む空気の中に醤油の香りが常に含まれている。島の有名なジェラート屋の名物は「醤油のジェラート」で、これがとても美味しい。

 

フランス、パリのシャルル=ド・ゴール空港に着いてロビーに出ると、バターの匂いが漂うように(ほんとうです)、小豆島では醤油の匂いがいつもしている。けれど、車で走り出して少しすると、その匂いは日常となり、いつしか気にしなくなる。

 

ほかに小豆島で有名なものといえば、手延べ素麺とオリーブ。オリーブをミックスしたオリーブ素麺もある。海辺の道を走っていると、オリーブ農園が次々と現れる。

 

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「中山という地区の山の中に、とても素敵な店があるんだ」と僕は、助手席で車窓の風景を撮っている友人に言う。

 

「上杉新(あらた)さん、道代さんという夫婦が営む、ギャラリーとカフェを併設したセレクトショップ。素敵なカップルで、彼らの審美眼によってセレクトされた衣服や器、アクセサリー、雑貨などが、大きな古い家屋の中に、ゆったりと置かれている。そこはもともと素麺工場だった。光と影の感じとか、窓から見える樹木の緑とか、僕は大好きなんだ。ふたりのセンスがとにかく素晴らしい」

 

そこは、周囲には一軒の店もない、それどころか、隣の家さえ見えない、山の中。樹木に囲まれた森の中だ。

 

たとえば東京や京都のように、周りに競合する店は一切ない。それはつまり、誰の真似もせず、競い合わず、自分たちの好きなことを自由にやれる、ということでもある(もちろん、苦労や努力が欠かせないけれど)。

 

その店の名は、「うすけはれ」という。2017年5月1日にオープン。2021年5月に4周年を迎えた。

 

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小豆島の山の中。

「思い返すと、成り行きでなってきたなという部分も多いんです」と上杉新さんは小さく微笑みながら言った。

 

ぼくは以前、ふたりから「うすけはれ」の物語を聞いていたが、今日ここに初めてやって来た友人は、まだ何も知らない。彼は、島の山の中に突然現れたこの空間に、びっくりしつつ、早くもこの場所の心地よさを感じ取っていた。「うすけはれ」と、この店のある土地は、美しく、懐かしく、「気配」がある。青蛙やススワタリ、カオナシが現れそうな気配だ。

 

「どうして田舎の島の、森の中に、こんな場所が?」と、友人の頭の中には今、たくさんの「?」が浮かんでいるはずだ。上杉新さんと道代さんは、僕の友人に向かって話を続けた。

 

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「小豆島に来る前、ぼくは同じ香川県の女木島に住んでいました。その頃から少しずつ、イノシシや鹿の毛皮、革を使い、小さな入れ物とか、キーホルダーとか、もの作りを始めていた。そして、今後はもっとそういうことをやっていきたいと思っていた」

 

「彼女(妻の道代さん)はその頃、直島に住んで仕事をしていた。だからぼくらが会うのは直島か、高松か、という感じだった」(※女木島と直島は近くにあるが、定期船で直接結ばれていない。女木島から直島に行くためには、一度高松港に出て、直島行きの定期船に乗らなければならない)

 

「ぼくらは、直島にも女木島にも長く住む気持ちがなかった。小豆島は風通しがよく、島の地域ごとに異なる文化や歴史が息づいていて、面白く感じるところが多かった。移住者も多く、ローカルコミュニティに強い個性を感じた。そして何よりもまず、小豆島は、彼女の生まれ故郷だった」

 

「結婚を機に小豆島に移住しました」道代さんが言葉を継いだ。「ふたりとも離島の暮らしが気に入っていたので、都会に出るという選択肢はありませんでした。直島ではベネッセで働いていて、商品の企画から販売まで担当し、仕事は面白くて自分に合っていると感じていました。だから、ゆくゆくは自分で店をやってみたいなと、なんとなくですが考えていたんです。でも、故郷の小豆島に戻ってきても、そうすぐに動き出すわけではなくて。たまたまこの場所に出逢って、イメージが少し膨らみだして、という感じでした」

 

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日常(ケ)と非日常(ハレ)とのあいだ。

「小豆島へ来て、彼女の実家に住まわせてもらいながら、住む物件を探していました。あるとき、島で狩猟をしているおじいさんが、中山地区にあるこの場所を教えてくれたんです」と新さんは言った。

 

「日本の棚田百選」にも選ばれた、中山の千枚田。瀬戸内国際芸術祭の開催期間には、世界中から数多の観光客が中山へやって来た。春、夏、秋と、その美しいライステラスの風景はSNSで世界中に発信された。その棚田が広がる場所から、車でさらに山を上がっていったところに、「宇介(うすけ)」と呼ばれてきた場所がある。

 

「近所の人たちがこの場所のことを、うすけ、って呼んでいたんです」と道代さんが教えてくれた。「もともとここにあった素麺工場の屋号が宇介でした。田舎では、屋号や、代々続く家の名前が、いつしか地名そのものになることがあります。この辺り全体が宇介と呼ばれていました。その頃私たちは、店名をどうするか毎日悩んでいたんです。ポストイットに候補名を書くとキッチンの壁に貼り付けておくんですが、それがあまりにたくさんになって(笑)」

 

「子供の名前はパッとすぐ決まったのに、店の名前はめちゃくちゃ悩んだ」と新さんは笑って言ったが、そのようにしてふたりの店の名は「うすけはれ」となった。土地の名前である宇介=うすけ、そこに、ハレ、ケという日本語を結び、「うすけはれ」。なんて見事なネーミングだろう!

 

宇介と呼ばれてきた山の中の、ハレ(非日常)とケ(日常)のあいだに在るような場所、それが「うすけはれ」なのだ。

 

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車で山道を上がってくると、「ほんとうにこの道でいいのかな?」と少し不安になりかけた頃、森の中の広場のような駐車場が現れる。車から降りて、目の前の道を渡ると、小径の真ん中に木造の看板が何かの印のように置かれている。そこに「うすけはれ」と書かれてなかったら素通りしてしまうような小径だ。夏なら蝉の声が鳴り響き、春なら鳥のさえずりが、冬なら少しひんやりした空気が肌を刺す。「気配」を感じる。向こうから千(千尋)が現れたとしても驚かないだろう。

 

その小径を上がり右手へ曲がると古民家のような一軒家がある。そこは上杉さん一家が暮らす家だ。その前を通り過ぎ、さらに奥に、別の古い家屋がある。元素麺工場だった建物で、そこが「うすけはれ」だ。素麺工場だった頃の想い出、名残がいくつもあって、その発見も楽しい。たとえば高い天井に取り付けられた大きな扇風機。手延べ素麺を乾燥させるためのものだ。

 

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「ここに入った瞬間、店としての空間のイメージがわいたんです。びっくりするくらいクリアに。いい場所になるという確信めいたものがあった」と新さんは言った。

 

「最初の頃は置いているものはとても少なかったんです」と道代さん。「アクセサリーが少し、夫がイノシシの毛皮で作ったものとか、それくらい。訪れた人には、自然の中にいるような感じでゆっくり過ごして欲しい、自分たちもそうありたい、と思っていました。だから、衣服でも雑貨でもここに置くものはゆったりした時間に似合っているものにしたかった」

 

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僕は「うすけはれ」へやって来ると、まずカウンターの椅子に座って、コーヒーとチョコレートケーキをオーダーし、新さん、道代さんとのお喋りを楽しむ。新さんが淹れるコーヒーは、美味しいのはもちろん、コーヒーの粉にお湯を落としている時間もいい。道代さんが作ったチョコレートケーキは、リッチで美味だ。このチョコレートケーキは「うすけはれ」のオンラインショップでも買える。

 

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「地元の人たちがふらっとやって来てゆっくりできるような場所でありたいなと思い、飲み物やスイーツを出しています」と新さん。「何も買わなくていいんです。店の中を歩いて、眺めて、時間を過ごして、この場所を体験して欲しい。島の人たちにゆっくりして欲しくて、コーヒーを出すようになりました」

 

「自分たちが楽しいことだけやろう、と思っています。明日のことを考えて不安になるより、今考えて楽しいことを一生懸命やろうって」上杉新さんのその言葉は、心に響いた。今、楽しいことを一生懸命やる。自分もそうありたい。もっとがんばらねば。

 

コロナ禍になる前、「うすけはれ」は、外国人旅行者も多い店だった。島の人、日本人の旅行者、海外からの旅人、若い人、年配の人、いろんな人がこの場所で交わっていた。時々、「ここは何処だったかな?」と考えてしまうような、そんなボーダーレスでタイムレスな感じがあり、それも僕がこの場所を好きな理由のひとつだ。少しずつゆっくりと、そんな「うすけはれ」に戻って行くだろう。これからも僕はここに通い続けたい。

 

『千と千尋の神隠し』に出てくるような、ハレとケのあいだにあるような「うすけはれ」は、小豆島、中山の、森の中にある。

 

Travelogue<br> チョコレートを巡る旅<瀬戸内編④> 島と海と猫、時々チョコレート。
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(チョコレートを巡る旅、次回から「京都編」が始まります。お楽しみに!)

 

 

うすけはれ

https://www.usuqefare.com

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〈関連記事〉

Travelogue チョコレートを巡る旅<瀬戸内編その①> 島と海と猫、時々チョコレート。

▶ Travelogue チョコレートを巡る旅<瀬戸内編その②> 島と海と猫、時々チョコレート。

▶ Travelogue チョコレートを巡る旅<瀬戸内編その③> 島と海と猫、時々チョコレート。

 

 

文:今井栄一

旅や人をテーマに国内外を旅しながら、執筆、撮影、編集、企画などをおこなう。FMラジオ番組やPODCAST番組の制作も。著書に『雨と虹と、旅々ハワイ』『Hawaii Travelhints 100』『世界の美しい書店』ほか。訳書に『ビート・ジェネレーション〜ジャック・ケルアックと歩くニューヨーク』『アレン・ギンズバーグと歩くサンフランシスコ』『1972年のローリング・ストーンズ』など。