チョコレートの香りを探しながら日本各地を旅するシリーズ。今回は京都を巡ります。古都の旅の始まりは、宇治。

 

文=今井栄一

写真=チダコウイチ

 

Travelogue<br> チョコレートを巡る旅<京都編①> 下鴨神社から鞍馬寺まで、チョコレート経由。
ヴィーガン薬禅カレー。

カカオ好きな友人に誘われて、晩秋の京都に滞在した。初日は宇治へ、ローカル列車旅。

 

「宇治にある黄檗山萬福寺(おうばくさん まんぷくじ)という禅宗の寺で、薬膳料理研究家のヤマグチヒロさんと待ち合わせしているんだ」と友人は言った。「萬福寺で、檀家さんほか全国から大勢の関係者が集まって、大きなイベントが開かれる。ヒロさんがレシピを手がけた『薬禅まんぷく寺カレー』のお披露目会もそこでおこなわれる。それを観て、ヒロさんに、彼女が手がけたその薬禅カレーの話を聞こう。カカオバターが使われているんだよ」

 

黄檗山萬福寺という名を聞いたのは初めてだった。調べてみると、立派な、由緒ある寺で、日本三大禅宗のひとつ「黄檗宗」の大本山だという。

 

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朝、僕と友人は京都駅から奈良線に乗って、宇治の黄檗駅をめざした。僕はこのとき初めて、黄檗(キハダ)と書いて「おうばく」と読むことを知った。

 

黄檗駅から徒歩5分ほどのところに萬福寺山門があった。すでにたくさんの人が集まっていたが、すぐにヤマグチヒロさんと会えた。それにしても、なぜ寺でカレーなのだろう。

 

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カカオバターと振動する薬膳カレー。

「仏教もカレーも、そのルーツはインドにあります。漢方が育まれたのは中国ですが、生薬やスパイスの知識、考え方のベースは、古代インドから中国に伝来したと考えられています」とヒロさんは語った。なるほど確かに、(一見、別世界の)カレーと仏教は、「ルーツは同じ」と言えそうだ。

 

「黄檗山萬福寺はその昔、人々が苦しい時代に、施粥というものを寺で出していたそうです。それは、大鍋で炊きあげた粥やスープを、困っている人々に無料で配るというもの。コロナ禍の今は、多くの人にとって苦しい時代だと思います。今はまだ、大鍋で人々がシェアするという食べ方はできませんが、気持ちはそこにあります。困難なこの時代に、人々を応援するシンボル的なカレーを作ろう、そう考えた知人から話を受けて、私がレシピを考案させていただくことになった、というわけなんです」

 

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薬膳料理研究家、料理家として活躍するヤマグチヒロさん。

「精進料理なので、動物性のものは一切使えません。さらに、お寺ということで、ニンニク、タマネギ、ニラなど、匂いの強い『ごくん』と呼ばれる野菜も使えません。こうなると、香りや出汁を引き出すのが難しくなります。すっきりし過ぎて余韻が残らないというか。もっと食べたいと感じるコク、食べ終わったときの余韻を探して、いろいろ足したりひいたりということをしていく中で、カカオバターに行き着きました。クリエイティブディレクターでカカオの仕事もしている友人のチダコウイチさんが、高品質のカカオバターをシェアしてくれて、それを加えてみたところ、とてもよくなったんです。味に奥深さ、コクが出ました」

 

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左は萬福寺執事長の荒木将旭和尚、右は煎茶道黄檗売茶流先代家元の中澤弘幸氏。萬福寺イベントでのひとコマ。
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大勢の人々の前でお披露目された「薬禅まんぷく寺カレー」。俳優の窪塚洋介さんが特別ゲストで参加。

「食で私が大切にしていることは、これは言語化するのが難しいのですが、その料理や食べ物が『振動している』ということなんです。スピリチュアルな方向に行きたくないので、ふだんはこういう話をあまりしませんが(笑)。私は、生きていることは振動していることだと思っています。だからこのヴィーガン薬禅カレーも、振動している食べ物に仕上げたかったんですね」

 

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ヤマグチヒロさんがレシピ考案した「薬禅まんぷく寺カレー」と記念写真をパチリ。
別れ、空白、薬膳との出逢い。

「Food Officeハチドリ」代表として、薬膳料理研究家として、渋谷区観光協会フェローとして、そして料理家として活躍するヤマグチヒロさんだが、最初から料理に興味があったわけではないという。

 

「10代の頃は美大をめざして勉強していました。浪人中、とても大切な人を亡くすという出来事があり、その経験を通して薬膳の世界と出逢いました」

 

ヤマグチヒロさんはこれまでの道のりを、少しだけ話してくれた。

 

「その頃ファミリーレストランでアルバイトしていたんですが、大切な人がこの世を去り、ショックで仕事に行くことができなくなったんです。外に出ない、一切誰にも連絡しない、みたいな。レストランの店長がとてもいい人で、心配して何度も連絡くださったんですが、とにかく私は内にこもってしまった。ひと月後くらいに店長からまた連絡があって、一度(店に)来なさい、って強く言われて。もうバイトは辞めようと思っていましたが、それを言いに行く必要もあると思い、とりあえず店長に会いに行きました」

 

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「店に着くと、テーブルに料理がいっぱい並んでいた。もちろんファミレスにあるふつうのメニューだけど、店長が考えて用意してくれていた。店長は何も質問せず、とりあえず食べなさい、と。『おまえは今日、食べるのが仕事だよ』って。食べ始めて、私は初めて自分が空腹だと気づいたんです。考えてみたら、何かをきちんと食べていなかった。この1か月、自分が何を考えていたのか、何をしていたのかも思い出せない。自分の心を理解できていなかったんですね。大切な人を失ってからずっと私は、空白でした。食べながら涙がぼろぼろ出始めて止まらなくなった。私、泣くことさえ忘れていたんです。最初の涙がこぼれたとき、自分の深い悲しみに初めて気づきました」

 

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「食べているあいだに、自分を取り戻していったんだと思います」とヒロさんは言った。「食べることって大切なんだな。食べ物とか料理って、大事なことなんだなと、そのときに知ったというか。私たちはみんな自分が食べたものでできているんですよね」

 

温かいものを口に入れ、味わい、食べて栄養をとるという行為を通して、ヒロさんは気がついた。「亡くなったあの人は、きちんとした食事をとれていなかったんだろうな」。

 

人間は食べたものでできている。ヒロさんは薬膳の学校に通い始めた。これが、ヤマグチヒロさんと薬膳との、そして料理との、出逢いだ。

 

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ヤマグチヒロさんは今、祖母が浜松に残してくれた土地を活用して、ローカルコミュニティの場を起ち上げようとしている。すでに営業免許取得済みの薬膳フードトラック「ハチドリ」を基点に、薬膳カレーなど食のプレートを提供・販売する。土地の一角に、シェアオフィスやカフェのような場所を作り、さらに、有機農業の畑と、手伝ってくれる人たちが泊まれる施設も作ろうと考えている。浜松から、日本の別の地方へ向けて発信する新しいカルチャー。やがて各地からいろんな面白い人がやって来て、そこで交わり合っていくだろう。「浜松から新しいムーブメントを生み出していきたいんです」とヤマグチヒロさんは力強く語った。

 

この連載「チョコレートを巡る旅」の、前回「瀬戸内編」でも、各地で力強いローカルカルチャーと出逢った。かつて、新しい流行とは、ニューヨークやロンドン、東京など、大都市で生まれるものだった。今はそうではない。ポートランドやストックホルム、メルボルンといった「サードシティ=地方」から新しい潮流が生まれ伝わってくる時代だ。日本でも、尾道や高松、三浦半島、盛岡といった場所から新しいカルチャー、ムーブメントの響きが伝わってくる。浜松からも、新しい響きが伝わってくるだろう。

 

夕方、萬福寺のイベントは無事終わった。僕と友人とヤマグチヒロさんは3人で一緒に奈良線に乗り、鴨川の流れる京都市街へ戻った。夜のごはんのことや、各地のカカオ農園の話をしながら。僕たちはみんな食べているものでできているのだ。

 

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(チョコレートを巡る旅、「京都編②(後日、公開予定)」に続きます)

 

 

薬膳まんぷく寺カレー

黄檗山萬福寺

 

ハチドリ Food Office

ヤマグチヒロ official site

ヤマグチヒロ instagram

 

 

 

文:今井栄一

旅や人をテーマに国内外を旅しながら、執筆、撮影、編集、企画などをおこなう。FMラジオ番組やPODCAST番組の制作も。著書に『雨と虹と、旅々ハワイ』『Hawaii Travelhints 100』『世界の美しい書店』ほか。訳書に『ビート・ジェネレーション〜ジャック・ケルアックと歩くニューヨーク』『アレン・ギンズバーグと歩くサンフランシスコ』『1972年のローリング・ストーンズ』など。