香水のようにブレンドされたホットチョコレートを求めて パリ、ガソリンスタンドへ。
グラフィカルで愉快な文字が躍る「Gazoline Stand」のファサード。 ガゾリンはガソリンを意味するフランス語。

 

文:長谷川香苗

 

9月、パリ左岸、皇帝ナポレオンが眠る国立廃兵院のそばに「Gazoline Stand」がオープンした。フランス語でガソリンを意味するGazolineの文字通り、給油スタンドに、カーメンテナンス用品などを扱うショップ、カフェを備えた20平方メートルほどのこじんまりしたガソリンスタンドだ。コーヒーや軽食をオープンエアで取れるようにテーブルと椅子が店の外に置かれ、レゲエ音楽がパリの空気を振るわせている。なんだかジャマイカの街中のタバコスタンドを思い出してしまった。この一風変わったガソリンスタンドのオーナーはラムダン・トゥアミ。日本でも多くの美容好きの心をつかむ1803年創業のパリの美容ブランドBULYのアーティスティック・ディレクターだ。BULYは古来の美容法をもとに、独自に開発された唯一無二の美容アイテムを揃え、その店の作りがいつも大きな話題となっている。真新しいのにどこか遠い時代へ迷い込んだような陶酔感を誘い、足を踏み入れただけでタイムスリップできる魔法にかかる場所。そんなBULYの世界観すべてを作り上げているのがラムダン・トゥアミだ。地球儀をぐるぐる回すように世界各地を旅し、教会を始め、古い建物の装飾を食い入るように研究する彼は大の歴史好き。

 

香水のようにブレンドされたホットチョコレートを求めて パリ、ガソリンスタンドへ。
ディーゼル車向きガソリン でも“地球には不向き”との文字が何ともラムダンらしい皮肉

「懐古的なことばかりをやっているわけではないんです」と彼が笑いながらオープンしたガソリンスタンドを案内してくれた。この近所に暮らすトゥアミは古くからこの地でガソリンスタンドを経営していた人とは顔なじみ。

 

「元のオーナーは僕と同じモロッコ出身。彼が引退するというから、それなら僕が買い取って引き継ぐよ、という流れで始めることになりました。未来は脱炭素社会にあるというのに、新しくガソリンスタンドを始めるなんて時代遅れと思いますよね。でも、車が好きでヴィンテージカーを持っている身としては近所のガソリンスタンドが無くなってしまうのは忍びなくて」と言う。そういえば数年前にトゥアミが少年のように目を輝かせて「ガソリンスタンドを買い取ったんだよ!」と話してくれたんだった。

 

「多くの少年がそうであるように、子どもの頃から車が好きでした。一日中、車に触れているガソリンスタンドの人たちが羨ましくて、自分もいつかあんなふうに働きたいと思ったこともあります。だからガソリンスタンドを持つことは夢の一つが叶ったようにうれしい」とトゥアミは言う。いつだったか彼が友達に貸してもらったというアストン・マーティンの車に乗せてくれたことがある。靴を脱いで乗車しようと思ったくらいの高級車で驚いたけれど、彼は他人の車だというのに自分の車のように乗り慣れていた。アクセルの踏み込みからブレーキのかけ方までがスムーズでドライビングの技もすこぶるうまかった。きっとこの人はどんな車とも仲良くできるのだろう。エンジンの鼓動や振動を身体全体で感じ、車と戯れているようにすら感じた。

 

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ガゾリンスタンドのショップ。BULYのカーフレグランス、シューズフレグランス、Porterのリュックサックなどが揃う。

「でも従来と同じ形態でガソリンスタンドを運営するなら、僕がやる意味はありませんからね」というように、「Gazoline Stand」では給油するだけではなく、車用のフレグランスや靴用のデオドラントスプレー、靴紐といった日用品、リュックやファッションアイテム、デジタル機器用バッテリー、軽食まで、コンビニエンスストア並みに様々なアイテムを揃える。店のキャッチコピー「車、そして暮らしのエネルギーを提供します」に納得。

 

「近所には僕の子どもたちが通う学校があるんです。子どもたちが昼食にきちんとしたものを食べているのか、親なりに気にしていて、ここに来て目の行き届いた物を食べてもらいたいという、半ば親の監視の目です(笑)。それと、学校で必要なステーショナリーや備品が揃っていれば、通学途中に忘れ物に気づいたときに立ち寄ることができます。子どもたちは助かるでしょう?」とBULYのクリエイションで猛烈に忙しいなかでも、子どもたちの日常を見守るパパの顔をのぞかせる。

 

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日本の駄菓子も並ぶお菓子のディスプレイ

日本の下町にある駄菓子屋さんを思わせるお菓子のセレクションも子どもたちがヒント。日本で初めてヨーロッパのキャンディードロップを製造した明治41年創業の老舗、サクマ式ドロップス、1947年創業の共進製菓の口に入れるとシュワシュワとはじけるキャンディー、シャンペンサイダーなど、ユニークだけれど長年日本で親しまれてきた流行に左右されない駄菓子が並ぶ。ふと数年前、日本でBULYを展開するにあたり、トゥアミ一家5人が揃って東京に移り住んだ時のことを思い出した。長男のアダンはうまい棒などの日本のお菓子が大好きで、リュックサック一杯に詰めたお菓子を見せてくれながら、フランスで行商をしたいと恥ずかしそうに話してくれたことを。その子どもの夢を、単体事業では難しいからガソリンスタンドと組み合わせてビジネスとして成立させるトゥアミの起業家精神に舌を巻く。

 

香水のようにブレンドされたホットチョコレートを求めて パリ、ガソリンスタンドへ。
クリストフルの刻印が入った銀メッキのスタンド

新しいガソリンスタンドにはトゥアミらしいヒネリのきいたアイデアや目配りが随所に感じられる。フランスではセルフサービスで給油するのが一般的。特にパリのような大都市では日本で見る大型のステーションではなく、ドライバーが車から降りて給油しやすいように、スタンドは道沿いに設置されている。「Gazoline Stand」も同じだけれども、日本のように店員が給油してくれる。(日本でもセルフサービスは増えつつあるが)ドライバーは車から出なくてすむ。日本の商慣行をつぶさに観察し、優れたものは積極的に取り入れるトゥアミらしい取り組みだ。さらにドライバーは車の中から本格的なエスプレッソやホットドッグをオーダーすることもできる。いいアイデアと感心していたら、スタンドが銀メッキ製、クリストフル社の刻印が施されているのに二度見した。

 

トゥアミは言う。「限りある資源であるガソリンを使うことは現代においてラグジュアリーです。なのに、これまでガソリンスタンドには丁寧に入れたコーヒーや気の利いた食事のサービスがありませんでした。今は多くのセレクトショップが飲食を提供しているのに。だからそれに見合ったサービスを提供しようと考えたんです」。

 

香水のようにブレンドされたホットチョコレートを求めて パリ、ガソリンスタンドへ。
フードの写真、メニュー
香水のようにブレンドされたホットチョコレートを求めて パリ、ガソリンスタンドへ。
無駄なほど豪奢なイタリアのエスプレッソマシン。でもこのマシンで淹れるコーヒーは実においしい。

トゥアミは続ける。「給油以外のためにガソリンスタンドに行くことはあまりないでしょう。でも、そこに一流のカフェに負けない味のコーヒーやサンドイッチもあれば、食事を目的に地域の人たちが集まります。そうした場所を作りたかったんです」。実際、犬の散歩で立ち寄る人、親子連れの姿が見られた。「新型コロナウィルスの感染対策として遠くへ出歩くことが制限されるなか、近所に立ち寄ることのできる場所があることの大切さを多くの人が感じたと思います」。

 

香水のようにブレンドされたホットチョコレートを求めて パリ、ガソリンスタンドへ。
カカオバリーに特注したチョコレートで作るホットチョコレート。濃厚だけれどサイズがS.M.Lと選べるのがありがたい。トゥアミがデザインしたカップのグラフィックデザインがユニーク。

様々な商品をそろえるガソリンスタンドで群を抜いてお勧めしたいのはホットチョコレート。車の燃料にガソリンが必要であるように、パリの人たちにとってチョコレートは毎日欠かせないエネルギー源。一流パティスリーの味に負けないホットチョコレートを追求したという。使っているチョコレートは多くのショコラティエが信頼を寄せるカカオバリー社のもの。

 

「カカオバリーのラボに行って、異なる産地のカカオをブレンドしたガソリンスタンドオリジナルのものを作ってもらいました。果実味を効かせたい、もう少しスパイシーさを残したいなど、チョコレートをブレンドしていく作業は香水の調香と似ているんです。また、チョコレートはデリケートな食材で、70℃以上にならないようにゆっくりと加熱する必要があります。前日の夜に仕込みを始め、翌朝7時の開店時にはできたてを出しますが、作りたてのホットチョコレートは格別なんですよ」。本当だ。ミルクの脂肪分が感じられず、カカオ本来の味が引き立つ、パリ随一のホットチョコレートと思えるほどおいしい。しかも、Sサイズだと一杯2ユーロという破格の値段。

 

香水のようにブレンドされたホットチョコレートを求めて パリ、ガソリンスタンドへ。
無類のチョコレート好きのトゥアミ家のチョコレート専用の引き出し

実はガソリンスタンドのある7区は極右派の支持層が多い保守的なエリア。周りのレストランのテラスを見ても座っているのはいかにも良家出身の身なりをした人たちばかり。移民反対、アラブ系民族に排他的な信条を持つ人も多く、有色人種たちからすれば、足がすくむエリアかもしれない。ガソリンスタンドにはそうしたエリアに対するプロパガンダの要素も少なからずあるようだ。

 

「7区はフランス人だけのホームグラウンドではない。だから僕の店では皮膚の色、信条の違いに関係なく様々な人たちが集まってもらいたくて、アラブ人、アジア人に働いてもらっています。僕の方針でレゲエミュージックばかりかけているので、近所の極右派はよそ目に顔をしかめていますが」、と涼しい顔で言う。

 

そうしたわだかまりを極上のホットチョコレートがなくしてくれると思いたい。ガソリンスタンドの可能性を広げてくれそうだ。

 

そして、このインタビューを終えた数日後にビュリーがLVMHファミリーに参画するという驚きのニュースが入ってきた。このガソリンスタンドもそうだけれど、歴史を生かしながらもいつも新しいことを考えているラムダン。彼の羅針盤がどこに向いているのか、彼から目が離せない。

 

 

 

文:長谷川香苗
T JAPAN、AXISを初め、オランダのデザインメディアFRAME magazine、1893年に誕生した英国のアートメディアStudioに寄稿。ラジオで放送原稿も担当。著書、日本の32組のクリエイターの創造の現場を取材した書籍「Where They Create Japan」(Frame Publishers刊。)