チョコレート好きならば、「チョコレートは発酵食品である」とすでにご存知の方も多いと思いますが、概念として分かっていても、実際どうなっているのかピンとこないな、と思っている方もまた多いのではないでしょうか。カカオは南国の植物で、日本で育てることが難しく、収穫したらすぐに発酵作業が行われるため、現地へ行かない限り、なかなかその現場を知ることはできません。具体的にどんな行程があって、どんな色、香り、手触りなのか。チョコレートのおいしさを知れば知るほど、カカオという植物のことがますます気になってきます。カカオに関するモヤモヤとした素朴な疑問を、様々な技術と知識、感性を持った人々でざっくばらんに話し合いながら、カカオを多角的な視点で捉え、今までにない新しい可能性を見つけられないだろうか、という思いから始まったのがこの企画です。

 

主催・企画:APeCA代表 チダコウイチ

ライター:江澤香織

 

 

第一回は顔合わせとして6人のメンバーが集まりました。

 

東京農業大学応用生物科学部醸造科学科の准教授 大西章博さん

「ミュゼ・ドゥ・ショコラ・テオブロマ」ショコラティエ、パティシエ 土屋公二さん

「湯浅醤油」代表取締役 新古敏朗さん

発酵デザイナー、「発酵デパートメント」オーナー 小倉ヒラクさん(オンラインで参加)

薬膳料理研究家 ヤマグチヒロさん

静岡大学農学部学生 厚味莉歩さん

 

場所は東京農業大学醸造学科の会議室。メンバーは今後も様々な人を加えたり入れ替わったりして、流動的に交流を続けていきたいと考えています。

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。

初回ということで、カカオの実際の生産現場に一番詳しい土屋さんから、生産地の様子やカカオ業界の現状などについて、写真も交えながら詳しくご紹介いただきました。たくさんの話題が出てきましたが、特に興味深かった内容についていくつかトピックをまとめ、レポートします。

カカオの生産現場について
東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。

土屋さんは貧困農家を支援するJICAのプロジェクトに関わり、特に頻繁に訪問しているというマダガスカルを主な例に挙げてお話しいただきました。今の時代といえど、実際に現地へ行くには、なかなか過酷な状況のようです。

 

・日本から行くと直行便はなく、空港は都市部にあるため、北部の農園に到着するまでトータルで3日くらいかかる。(マダガスカルは南半球なので、カカオ産地は赤道に近い北部にある)

・渡航費、現地でのガイドやドライバー、移動の車代など、できるだけ安全に移動するならお金もとてもかかる。

・道はガタガタ、虫に刺されれば病気になるかもしれず、現地でおいしいものは限られ、安いけれどお腹を壊すかもしれない。街に行けばレストランはあるけれど、農村には何もない。治安も衛生状態も良いとはいえない。

 

それでもマダガスカルのカカオは品質の良いものが多く、本当においしいチョコレートを作って多くの人を喜ばせたい、という土屋さんの思いが現地へ向かわせているようです。また、雄大な朝焼け、夕焼けなどの自然の風景の美しさや、現地で出会う小動物、子供達の可愛らしさなどについても話していただきました。行くのに大変な場所ではあるけれど、行ってみると感動する場面に出会うことも多々ある、とのことでした。

児童労働は行われているの?

カカオというと、よく言われるのが農園での「児童労働」。人身売買が行われ、不当な条件で働かされている子供がいる、という話を聞くことがあります。土屋さん自身は、そう思われるような状況にはまだ出会ったことはない、とのことでした。実際に現地へ行ってみると、児童労働はそう簡単に語れるものではない、といいます。「アフリカなどの本当に貧困の厳しいところでは、もしかしたらあるのかもしれないけれど、そういうところのカカオにあまり興味を持っていないので自分は行ったことはない。マダガスカルも決して裕福とは言えないけれど、すごく困っているという状況でもなく、家族は多いが食べ物はあり、子供は学校にも一応行っているようだ。生活するのにそんなにお金はかからないけれど、お金を持っている人はあまりいない」というのが現状のようです。

 

農園で子供達が働いているところを見かけることはあるそうですが、それは農家の家族であり、子供達は無邪気に元気で、生活の一部として当たり前に家の仕事の手伝いをしているのであれば健全だとも言えるので、児童労働とは一概に指摘できない、ということです。

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。
カカオの発酵はどの様に行われているの?

チョコレートに多少詳しい人なら、カカオの実(カカオポッド)を収穫したら、実を割って果肉と豆を取り出し、バナナの葉に包んで発酵させる、という行程の話を聞いたことがあるかもしれません。バナナの葉には微生物がたくさん棲んでおり、酵母、乳酸菌、酢酸菌などの発酵作用によって、カカオに複雑なアロマと風味が生まれます。土屋さんの話では、まず、「世の中のカカオの半分以上は、もしかして実際にはちゃんと発酵していないかもしれない」という衝撃の一言。

 

暑い国はそのままの状態でもなんとなく自然に発酵が起こります。発酵という作業を意識して行なっているのは、その方が良いと農家が学習した場合。作業として行うには手間も時間もかかるので、それに見合った賃金が支払われるのであれば、農家は行うこともあるけれど、世界的な大手メーカーの大部分は、実際にはカカオが発酵してもしなくても買っているだろう(比較的安価で)、とのこと。

 

きちんと発酵させたクオリティの高い豆が欲しい、ビーントゥーバーなどを作る先進国のチョコレートメーカーは、農家に良い豆を作ってもらえるよう、専門家を呼んでやり方を指導し、発酵に使う木箱などの道具も用意してあげるそうですが、彼らが欲しいのは、あくまでクオリティの高い豆であり、農家が手間暇かけて発酵作業を行なっても、もし品質が悪ければ買いません。発酵して、おいしい豆になれば高く買ってくれますが、必ず買ってくれるとは限らないのです。それなら安くても、必ず買ってくれる方が手間もかからず楽だし、生活は安定します。お金があれば子供を良い大学に行かせられるかもしれないけれど、お金のある生活を本当に必要としているのか、よく分からない、と土屋さんは言います。電気さえ通っていない農家もたくさんあり、家に家電がなくてもそれほど困っていないかもしれない。カカオ農家にとって何が良いのか、その答えは簡単には出せません。

 

発酵作業を行なっている場合の現場は、一般的には木箱を3段、地域によっては5〜6段、階段状に縦に並べて、箱の中で発酵させることが多いようです。中身を上から順に降ろすことで攪拌させます。きちんとしたところは、木箱を定期的に洗浄し、メンテナンスしているそうです。逆に箱が汚いところはちゃんとケアしていない証拠ですが、小規模農家は発酵の意味を知らない場合も多く、何もしていないことの方が多いといいます。

 

大西先生の話では、菌叢(きんそう:ある特定の環境に生息する微生物の集まり、また集合体)というものは、一般的には放っておくと悪化する傾向が強く、ある程度の手入れが必要とのこと。特にカビが台頭してくることが多いよう。ただし、もし強力な生態系があれば、そのままでも良い状態になる可能性も否定はできないそうです。

 

木箱は長く使うと朽ちてきて、壊れたり、カビが生えたりします。土屋さんが訪れた、最先端といわれるドミニカの大規模カカオ農園では、プラスチックの箱で管理されていました。バナナの葉は使わず(大規模過ぎて葉を集めるだけで大変とのこと)、スターターとなる発酵液を用意し、それを混ぜ込んで発酵させています。プラスチック製は汚れにくく、洗浄もしやすいので、発酵も安定しているそうです。衛生状態を整え、パソコンで温度をチェックし、細かくシステマチックに管理しているとか。このように徹底管理するとクオリティの均一感は保たれ、一定基準を満たしたおいしいチョコレートにはなるそうですが、他にはない意外性や、劇的においしい!という驚きの味は生まれにくいようです。一方で全く機械化されていないけれど、ある地域でたまたま良い環境で良い微生物が集まって、ものすごくおいしいカカオできてしまうということも意外とあるそうで、そんな偶然の発見も発酵ならではの面白さです。

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。
おいしいカカオは発酵しているから?

一般的に発酵させたカカオの方がおいしい、といわれていますが、未発酵でもおいしい場合がある、と土屋さん。カカオの原産地は中南米で、紀元前の時代からカカオが食されていた古い歴史がありますが、固形のチョコレートは産業革命以降にできたもので、もともとはカカオをすり潰して水に溶かし、ドリンクとして飲まれていました。だから今でも中南米にはカカオドリンクの専門店がたくさんあります。土屋さんがメキシコで出会ったカカオドリンクは、ほとんどが未発酵の豆を使っていました。それはさっぱりとして程よい酸味があり、なかなかおいしいのだそうです。私たちがイメージする、いわゆるチョコレートドリンクの味とは全く違うものだそう。その地域に多いのはホワイトカカオと呼ばれる希少な品種で、豆を割ってみると断面は白い色をしています(一般的には紫色をしていることが多い)。ホワイトカカオは、一般的なカカオに多く含まれているポリフェノールがほとんどないので、苦味や渋みが少ないといわれます。このように品種や用途によっては、発酵したものだからおいしいとは一概にいえない場合があるということです。

カカオの品質基準はあるの?

カカオ豆の値段は、ロンドンやニューヨークの商品先物取引で決められています。そういった国際市場に出るための品質基準は昔からあり、豆をカッティングテストするなどして品質のチェックを行っているそうです。ただしこれは食品として使用して良いものか、というようなマスの世界での相場のための基準であり、グルメ市場とは全く異なります。味がおいしい、いわゆるプレミアカカオの基準はこれとは別に、様々な国際コンクールがあります。ビーントゥーバーの登場から、よりカカオの品質にこだわった板チョコレートに焦点を当てたコンクールが行われるようになりました。近年ではインターナショナル・カカオ・アワード(International Cocoa Awards)という、農家が出品したカカオ豆そのものの品質に焦点を当てたコンクールも行われています。受賞するとその農家の豆は多方面から引き合いがきて、いきなり高騰するそうです。

 

コンクールでは専門家が審査員となってテイスティングし、カカオ・チョコレートの審査を行いますが、その審査方法はほとんどコーヒーを模倣したものではないか、と土屋さん。味や香りのキャラクターにはワインのアロマホイールのような細かな分類があり、例えばどんな花の香りがするか、どんなフルーツの味がするか、各項目を加点したり、場合よっては減点したりして、味覚の方向性を採点していきます。カカオに着目した審査はまだ始まったばかりで、現在基準ができつつある、という状況だそうです。

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。
【まとめ】カカオは謎だらけ、矛盾だらけだった

他にも集まったメンバーからたくさんの質問が飛び交いましたが、あまりに長くなってしまうので、細かい内容はまたいつか。聞けば聞くほどカカオの疑問は深まるばかりで、底が見えません。まだまだよく分からない、謎だらけの植物なのだ、ということを改めて理解しました。そしてカカオを知れば知るほど、世界の矛盾、世の中の矛盾が浮き彫りになってくる。日本という小さな国に住む私たちが常識的に良いと思っていたことは、本当に狭い視野でしかないということを思い知る機会となりました。簡単に言葉では言い表せない、深く考えさせられる話が多々あり、多くの学びがありました。カカオの現状を真摯に受け止めた上で、今後は参加者のみなさんとさらに話し合いを深め、様々な可能性を模索していきたいと思います。

 

 

 

「発酵会議」参加メンバー

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。

大西章博さん

東京農業大学応用生物科学部醸造科学科の准教授として様々な研究に従事。発酵・醸造業界の現状に疑問を呈し、これらの技術を駆使した新しい可能性を模索。科学技術による国際外交を達成する手段となることを目標に活動している。特にメインテーマの一つとしてカカオ豆の発酵を研究。バイオマス・資源・エネルギー研究部会部会長も務める。

 

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。

土屋公二さん

「ミュゼ・ドゥ・ショコラ・テオブロマ」ショコラティエ、パティシエ。日本で初めて本格的なチョコレート専門店を開いたパイオニアであり、カカオ・チョコレート業界を長く牽引してきた立役者。世界的なチョコレートのコンクールでは毎年多数の賞を受賞。著書多数。世界各国のカカオ産地をめぐり、生産者の支援にも力を注いでいる。

 

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。

新古敏朗さん

醤油発祥の地、和歌山県湯浅町にある「湯浅醤油」代表取締役。世界一の醤油造りを目指して奮闘。フランス・ボルドーに醤油蔵をつくり、ワイン樽で醸造するなどユニークな試みも行っている。近年ではカカオと醤油を融合させた全く新しい調味料「カカオ醬」を開発し、注目を浴びている。

 

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。

小倉ヒラクさん

発酵デザイナーとして多方面で活動。東京農業大学醸造科の研究生になり微生物学を学ぶ。全国各地を飛び回り、発酵・醸造に関する様々な研究・情報発信を行っている。著書『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』(木楽舎)、『日本発酵紀行』( d47 MUSEUM)等。東京・下北沢にオープンした、発酵がテーマのユニークな専門店「発酵デパートメント」オーナー。(今回オンラインで参加)

 

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。

ヤマグチヒロさん

薬膳料理研究家。Food Officeハチドリ代表。渋谷区観光協会観光フェロー。料理のケータリング、商品開発等幅広く活動。健康、滋養強壮の視点でカカオに注目。APeCAの連載では「カカオと発酵の未来」をテーマに、大西先生と一緒にカカオ味噌を試作するなど、独自の研究を行なっている。

 

東京農大にて「カカオ発酵会議」が発足されました。

厚味莉歩さん

静岡大学農学部学生。高校1年の夏にカカオの魅力に惹かれ、以来カカオに幅広い分野を結びつけながら勉強にのめり込む。カカオに関する講座やイベントも主催。APeCAで連載を担当。

 

 

 

ライター:江澤香織

フード・クラフト・トラベルライター。著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)。旅先での町歩き、お土産探し、ものづくりの現場探訪がライフワーク。