岩手県最南端の海沿いに位置する陸前高田。東京から向かうとかなり行きにくい場所だというイメージで、その地名を知ったのは皮肉にも東日本大震災の被害からでした。震災後のボランティアで何度か現地を訪ねたものの、その後はすっかり足が遠のいていました。再びこの地名が浮上してきたのは、復興を果たした現地の味噌醤油蔵「八木澤商店」が2020年12月、この地に発酵テーマの新しい施設「CAMOCY(カモシー)」をオープンするという話を耳にした時です。コロナ禍の静かなオープンでしたが、八木澤商店代表である河野通洋さんの思いが存分に詰まった、とても良い場所らしいと聞いていて、ずっと行ってみたいと思っていました。運良くCAMOCY内にあるチョコレート店「CACAO broma(カカオブローマ)」を取材する機会があったので、それに合わせて陸前高田と気仙沼の街を巡ってきました。

 

文:江澤香織

写真:チダコウイチ

東京駅から一回乗り換えで気仙沼まで行ける!

東京から陸前高田にはどうやって行ったらいいのか。地図を見るとものすごく遠く感じます。ルートを調べてみると東北新幹線で一ノ関まで行き、そこから乗り換えてJR大船渡線に乗ると、終点が気仙沼でした。なんと東京駅から1回乗り換えで気仙沼まで行けるのでした。東京から一ノ関までは2時間弱、そこから気仙沼まで1時間半くらい。まあそれなりに時間はかかりますが、一回乗り換えで終点、というのはかなり気分的に楽です。本でも読みつつ、のんびり車窓を眺めていたら、何も考えなくても着きます。うっかり寝ても終点なので心配なし。一ノ関からは気仙沼行きの直通バスも出ているようです。

 

気仙沼と陸前高田間はBRT(バス車両の高速運行システム)が走っています。JRとの接続も良く、だいたい30〜40分で陸前高田に到着します。今回は気仙沼からレンタカーを使いましたが、こちらも三陸湾岸道路を走るとあっという間の20〜30分。往復してもあまりストレスを感じず快適でした。ちなみに下道だとやや時間はかかりますが、海沿いを走るので景色は気持ち良いと思います。行く前はすごく遠いのだろうと少し億劫な気持ちにもなっていましたが、いざ行ってみるとそれほど移動に苦がなく、心理的距離はもっと近くに感じるようになりました。

陸前高田の建築めぐり

陸前高田で最初に訪ねたのは「高田松原津波復興祈念公園」です。

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
あまりの広さに驚きました。約130ヘクタール、東京ドームおよそ30個分だそうです。

“東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂、震災の記憶と教訓の後世への伝承とともに、国内外に向けた復興に対する強い意志の発信のため、地方公共団体との連携のもと、復興の象徴なる「復興祈念公園」を整備し、その中心に国営追悼・祈念施設を整備しています。”(公園HPから引用)

 

かつては2kmに渡り延々と松林が続く広大な海岸だったという高田松原。7万本あった松が、あの時の津波で、たった一本になってしまったことを思うと、どれだけ甚大な被害だったのか。私が初めて訪ねた10年前のその直後は、見渡す限りの果てしない、砂漠のような瓦礫の山でした。言葉にならない、息が詰まるような苦しい感情が押し寄せてきて、ただ呆然とすることしかできませんでした。遠くに小さくポツンと設置された救援者用の仮設トイレが、歩いても歩いても辿りつかない、蜃気楼のようだったことを思い出します。

 

この公園に抱く感情は、人によって様々かもしれません。震災の実情をそれほど知っている訳ではない外からやって来た自分にとっては、あまりうまく言葉で説明できませんが、圧倒的スケールで目の前に飛び込んでくる広々としたランドスケープの雄大さに驚かされつつも、自然への恐怖や無力感、途方もない寂しさややるせなさ、漠然とした虚ろな感情が湧き上がり、また同時に心癒されるような、穏やかで厳かで、どこまでも清々しい透明感のようなものが漂っていることを感じました。大変難しい公園設計だったのではと想像します。ここへ来て何をどう感じるのか、実際にこの場所に立ってみて実感する価値はあるのではないかと思います。広い敷地の奥まで歩くと「奇跡の一本松」のモニュメントや、震災遺構として「陸前高田ユースホステル」のぐにゃっと崩れた建物が残されていました。

 

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
「奇跡の一本松」モニュメント。木の足元には、故やなせたかし氏が描いた一本松のイラストを元に製作されたモザイクタイルが地面にはめ込まれています。

公園の入り口には「東日本大震災津波伝承館」と、地域振興施設・新道の駅「高田松原」があります。伝承館は地震や津波で壊れてしまった実際の建造物や、リアルな津波映像、被災した人々の言葉を記録した資料などが展示されており、心に迫ってくるものがあります。この日は小学生くらいの子供たちが学校の行事か何かでたくさん来ていて、先生の説明を受けていました。

 

隣の道の駅では、広々とした店内に地元で採れた野菜やお土産品などが販売されています。覗いてみると「ああ、日常に帰ってきた」と妙にホッとするような安心感がありました。新鮮でピカピカの野菜や、手作りの素朴な味噌、漬物、お菓子など、美味しそうなものがたくさん並んでいました。(つい色々と買い込んでしまいました)

 

高田松原津波復興祈念公園の設計は内藤廣。建築に詳しい人にならよく知られている建築家です。実は陸前高田はようやく嵩上げ工事が終わった昨今、有名建築家の建設ラッシュ!建築めぐりのスタンプラリーもあります。今回は2か所立ち寄ってきました。

 

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
国立競技場を設計したことでも有名な世界的建築家、隈研吾が設計した「まちの縁側」。

「まちの縁側」は観光案内所を兼ねた複合施設。市民のための福祉、子育て支援、交流・相談の場となっており、館内にはカフェもあります。内装はミナ・ペルホネン。気仙杉をふんだんに使い、気仙大工の匠の技を感じさせる木組みの美しさと質感が心地よい建物に、ほのぼのと平和的なデザインのテキスタイルがマッチしています。個人的にはトイレのサインが可愛くてテンション上がりました。スロープを歩いて屋上にも自由に上る事ができ、陸前高田の街を一望できます。すぐ近くでは「陸前高田市立博物館」が絶賛建設中でした(開館は2021年秋の予定)。こちらも内藤廣の設計だそうで楽しみです。

 

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
椅子の座面クロスの模様やランプなど、ミナ・ペルホネンの世界観がさりげなく表現されています。ファンは必見!
震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
トイレのサインもミナ・ペルホネンらしいテキスタイルで作られていました。(撮影:江澤)
震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
立ち止まらずにはいられない、おもちゃっぽい建物「交流施設 ほんまるの家」。室内も壁や天井が不規則な蜂の巣模様みたいになっていて、入ってみると面白い。
発酵がテーマの交流施設「CAMOCY(カモシー)」

陸前高田は昔からきれいな水がこんこんと湧き出ており、味噌蔵や酒蔵などが多く建ち並ぶ醸造の街だったそうです。学校帰りに蔵の井戸水を飲む小学生、街に漂う味噌用の豆が炊ける匂いなど、醸造は人々の暮らしの中に溶け込む日常の一部でした。そんな当時の街の雰囲気を、音や匂いも含めて復活させたいという思いが発端となり、誕生したのがCAMOCYです。

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
「醸す」という言葉から名付けられたCAMOCY。建物は構造に松、それ以外は杉の間伐材が使われています。

地元の木材をふんだんに使った、木の温もりを感じさせる建物。天井からは気持ち良く自然光が差し込み、真ん中にテーブルと椅子が並ぶフードコートのようなつくりになっています。パン屋、ブルワリー、食堂、総菜店、チョコレートショップなど発酵にまつわる様々な店が入っています。パンは焼きたて、ビールは店内で醸造、食堂を運営する八木澤商店の醸造蔵も建物のすぐ近く。どの店も素材や製法にこだわり抜いており、厳選して丁寧に作られた店であることがわかります。それぞれの店主やスタッフの人柄が店や商品に滲み出ていて、地元の人も旅行者も安心して寛げる、ほっこりとした親しみやすさを感じました。

 

お昼には「発酵食堂やぎさわ」でもりもりランチを食べ、おやつに「CACAO broma」でソフトクリームとカカオドリンクを楽しみ、仕事終了後は「陸前高田マイクロブルワリー」でビールを一杯!うっかり1日入り浸っても困らない、至れり尽くせりな品揃え。存分に満喫しました。

 

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
CAMOCY店内の様子。「発酵食堂やぎさわ」は、魚や肉を味噌や麹など自社の発酵調味料に漬けてつくった料理をおひつご飯でサーブ。ランチの後の時間は、あんみつなどを提供する甘味処に変身する。
「おかえりモネ」で盛り上がる港町・気仙沼
震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
たくさんの船が停泊している気仙沼港。ぶらぶら散策するのに気持ちいい。(撮影:江澤)

陸前高田から行き来がしやすい気仙沼は、一緒に訪ねたい街のひとつです。NHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台にもなり、街は盛り上がっているようでした。モネのポスターをあちこちで見かけます。

 

気仙沼港は日本有数の漁港であり、海の幸が豊富。フカヒレ生産量日本一として有名です。その他にもウニ、牡蠣、ホヤ、アワビ、鰹、秋刀魚、メカジキ、マグロ…などなど特産品多し(並べ過ぎ)。気仙沼に来たのなら、魚介を食べずして帰るわけにはいきません。現地に行ったことのある友人たちは皆、魚介、魚介と呪文のように連呼していましたが、行ってみてよく分かりました。新鮮な旬の海産物を楽しむべし。魚介についてはどこで食べてもあまり外れることなく、おいしいものにありつけます。

 

震災から10年経っていますが、街の人はつい最近のことのように、自分たちが体験した地震の時の様子を話してくれました。といっても私が接したのは、居酒屋の店主やタクシーの運転手、喫茶店のマスターなど、いずれも観光客と触れ合う機会の多い職業の方々でしたから、聞かれることにも慣れているのでしょう。津波で流された店は、海から離れた高台に引っ越して新たに店を始めているところもあれば、建て直した一階部分は駐車場にして高さを出し、2階を店にしているところもありました。朝一で港の近くの魚市場へ行ってみると、建物には津波が来たときの高さが記されていました。港にはたくさんの船が停泊していましたが、どの船も比較的新しいきれいな船だったことも印象的でした。

 

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
魚市場。二階の窓の上のところに青いプレートが見えますが、ここまで津波が来たという印です。(撮影:江澤)
震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
2020年7月、甚大な被害を受けた内湾地区にオープンした商業観光施設「迎(ムカエル)」。レストランやカフェ、雑貨店などが入っています。

新しい商業施設が次々と生まれつつある気仙沼の通りをふらふら彷徨っていたら、古い街並みが残っている小さな一角がありました。そこにポツリと一軒のこれまた古い喫茶店。一旦前を通り過ぎたものの、どうしても気になって後戻りし、扉を開けました。1967年創業の「ヴァンガード」は、元々ジャズ喫茶。震災時は津波がきて天井まで浸水したそうですが、店主と常連客でせっせと修理し、再オープンさせました。壁にはそんな面影がうっすらと残っています。その後初代の店主は数年前に亡くなられたそうですが、常連客だったという数人が2代目店主を引き継ぎ、営業を続けています。私が行った時に対応してくださったのは物腰の柔らかい優しい紳士でした。

 

朝7時半にオープンして、13時半には閉店。港町らしい営業時間ですが、ふらっと行くにはややハードルが高い。偶然通りかかって入れたのはラッキーでした。お客は常連さんが多いようで、みんな店主に何か話しかけています。昼が近づくと、ランチや食後のコーヒーを目当てに続々と人が増え、賑わっていました。

 

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
喫茶「ヴァンガード」店内。壁の汚れ跡が津波の痛々しさを静かに物語ります。建物の階段で「おかえりモネ」の撮影が行われた、と店主が嬉しそうに話してくれました。(撮影:江澤)

店主や集まってくるお客さんの様子から、街の人々に長く愛されてきた店なんだろうなあという雰囲気がしみじみと感じられました。震災後もきっと、みんなの心の拠り所のような大切な存在だったのではないかと。最後にこの店にたどり着けたことで、「また気仙沼に遊びに来てね」と街に温かくお見送りしてもらったような気持ちになりました。

 

震災から10年を経た陸前高田と気仙沼を訪ねて
サイフォンで淹れるクラシックな味わいのコーヒー。震災前は店のすぐ近くにあったという洋菓子店「シェ・ササキ」(現在は内陸の方に移転)のチョコレートケーキ。 (撮影:江澤)

 

 

高田旅ナビ(陸前高田市観光物産協会)

https://takanavi.org

 

CAMOCY

https://camocy.jp

 

気仙沼さ来てけらいん(気仙沼観光推進機構)

https://kesennuma-kanko.jp

 

 

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文:江澤香織

フード・クラフト・トラベルライター。著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)。旅先での町歩き、お土産探し、ものづくりの現場探訪がライフワーク。