地域と共に活動することで、一層広く深くカカオの世界を探求していく
シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん

薄暗いバーの一角で、古めかしい木箱の蓋を開けると、まるで宝石のようなボンボンショコラがキラキラとまばゆいばかりに鎮座し、見る人の心をググッと高ぶらせる。このチョコレートに出会いたいがためにバーへ行く人もいるくらいだ。ビジュアルの見目麗しさはもちろん、食べてみるとその繊細な味覚設計にまたしても驚く。

「アトリエAirgead」のチョコレートは、バーに行かなければ口にすることができない。お酒とのマリアージュをとことん考え抜き、緻密に香りの分析を行った、バー専用の特別なチョコレートである。

 

シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん
ショコラティエの須藤銀雅さん。アトリエで作業の合間にパチリ。
子供の頃に見た、キラキラと輝くようなケーキが原動力に

「アトリエAirgead」を運営するショコラティエ・須藤銀雅さんは、子供の頃から甘いものが好きだった。今でも一番の大好物はあんこ。高校時代はボクシング部に所属し、禁欲的な減量生活をしなければならなかった。

「学校の通学路沿いにおいしそうなケーキ屋さんがあったんです。高校生なんて一番食べ盛りの時だというのに、部活のために食事制限している自分にとっては、本当に美しく光輝いて見えました。いつかこんなケーキを作ってみたいと憧れていたことが、この道に進むきっかけです」

 

高校を卒業後は、自分で学費を稼ぎながら大阪の洋菓子専門学校へ通った。その後は神戸の洋菓子店で6年働き、技術をしっかり身に付けると、次に働いたのは東京のフレンチレストランの名店。実はそこで一旦挫折し、もうこの業界には戻れないと思ったくらいのダメージを受けたそうだが、それでもやはりお菓子作りを続けたい想いは強かった。そこで再チャレンジの道を与えてもらったのがチョコレートだった。その時の須藤さんにとって、チョコレートはまだ未開拓分野であり、ショコラティエという専門職があるくらい特殊な技術を必要とするジャンルであるからやりがいも感じた。これでダメなら諦めようと覚悟を決め、チョコレートの名門「ピエール・マルコリーニ」で、気持ち新たに働き始めた。

 

シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん
アトリエの様子。須藤さんの奥にいるのは右腕的存在のスタッフ、吉塚浩介さん。
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カカオ豆はオーブンで焙煎。小ロットしか焼けないが、細かい温度管理をしたい場合はその方が効率良いそうだ。
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テンパリングされた艶々のチョコレート。
店舗を持たない、バー専用チョコレートの職人として独立

お酒との出会いは学生時代、居酒屋でのバイトに始まった。その時の先輩が、いろいろなところへ連れて行ってくれ、バーの存在を知った。「バーテンダー」という漫画を見て、かっこいいなと思っていた。今はもうなくなってしまったそうだが、地元青森県弘前にあったお気に入りのバーによく通い、その雰囲気に憧れていた。東京で働き始めてからも、バーは須藤さんにとって、ホッと一息つけるオアシスであり、そこに来る様々な人との出会いから刺激を受け、知見を広められる貴重な場所だった。「楽しみながら学びを得られる、バーとはなんて素敵なところだろうと思っていました」と須藤さんは言う。

 

ある時、仲良くなったバーテンダーから、「ショコラティエだったら、うちの店にも何か作ってよ」と声をかけられたことが、須藤さんの今の仕事へと繋がるきっかけになった。

 

「ピエール・マルコリーニ」では、主にケーキを作ることの方が多かったそうで、須藤さんは仕事の後にボンボンショコラ作りの自主練をしていた。お酒とのマリアージュは自身の勉強にもなると考え、バーからの注文を引き受けるようになった。オーセンティックバーではウイスキーなどの酒と共にチョコレートを出すことがあるが、当時は本格的なチョコレートを扱っているところは少なかった。須藤さんの作るチョコレートは次第に好評を得て、やがて店舗を持たず、バー専用に卸す「アトリエAirgead」を立ち上げた。誰もやっていない新しいジャンルの仕事は注目を浴びたが、最初の頃は赤字が続き、須藤さん自身が一軒一軒バーを回って営業していたという。

 

現在バー専用チョコレートは定番で21種類のほか、各店舗オリジナルなども制作し、全部合わせると40〜50種類にもなる。数ヶ月に一回くらいの頻度で新作も生み出している。登録店舗は160店くらい。といっても店舗とは契約という形を取らず、定期配送は行わない。毎回新規に注文してもらうスタイルを貫いている。いつでも切られる緊張感はあるが、必要として注文をもらう方が、お互い対等であり、相手の役に立っていることを実感できて、自身のモチベーションも上がるという。

 

地元の青森に拠点を作ったことで、より幅広い活動ができるように

さらに、2018年には、地元である青森県弘前市に自身の店舗「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」をオープンさせた。こちらは「アトリエAirgead」とは完全に切り離し、バー専用チョコレートは販売していない。ではなぜ新たに店舗を作ったのか。

「バーに来るお客さんは博識な方が多く、お客さんに鍛えられることでチョコレートのクオリティも徐々に上がって行きました。そうするうちにどんどん探究心が深まり、やがて原料であるカカオ豆そのものの味や香りに着目するようになったんです。世界中からカカオ豆を自ら選び、焙煎する、ビーントゥーバーチョコレートなら、もっと繊細で幅広く、味や香りの表現ができると思いました。それを本格的に始めようと決めたとき、このアトリエでは手狭で、そのとき思いついたのが地元でした。最初は作業用の工房を作るつもりだったんです」

しかし地元を訪ねるうちに、自分が生まれ育った街への感謝の気持ちが高まり、故郷のために何かできないかと思うようになった。青森にはまだビーントゥーバーチョコレートを作る店は一軒もなかった。店を開くことで、少しでも雇用や地域活性化に役立つのではないかと考えた。「ロマンスチョコレート」では、青森産の食材を使ったものや、地元のアーティストにパッケージをデザインしてもらうなど、少しずつ青森らしさを加えている。地元の小学生と一緒に、カカオ豆からチョコレートを作るワークショップを行うなど、地域との繋がりも深めている。

 

シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん
チョコレートの箱の中に、ボンボンショコラとタブレットが入ったゴージャスセット。タブレットの干し柿やプルーンなどのドライフルーツは青森産。(こちらは青森の店舗「ロマンスチョコレート」で販売)
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箱を作るところを見せていただいた。実は裏側もすごい。型には緻密な装飾が施されている。
シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん
型の種類は数えきれないほど所持している。ベルギーの型専門会社から発注、新作が出るとチェックしている。他に自分でオリジナルの型を作れる機械も購入した。

青森に拠点ができたことで、須藤さんの活動の幅は広がり、また一層深くチョコレートを探求できるようになった。バー専用チョコレートを作り始めた頃から、須藤さんの探求テーマの一つにあるのが「香気成分」。素材の香りの成分を分析することで、お酒との相性を感覚だけでなく、化学的な裏付けから立証しようとしていた。以前から自分で文献を探して研究していたが、地元のご縁で弘前大学と繋がり、共同研究ができるようになった。大学にある専門の機械を使って分析し、詳細なデータを残すことで、より説得力のある成果を得られるようになったのだ。

「本当は、弘前大学と親交のあるフィリピンの大学と一緒に、現地のカカオ農園で色々な実験をする計画もあったのですが、このご時世なのでまだ実施できず、まずは今できることを進めています。例えばインドネシアでライムを入れて発酵させた、ちょっと特別なカカオを成分分析した上で、新しい商品を考案中です」

須藤さんはそれらの情報をシェアし、チョコレート業界全体で役立ててもらえたらと思っている。自分で機材を揃えてYoutubeなどで自ら発信も行なっている。

 

シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん
香料に関する専門知識を学ぶため、日本香料協会にも所属。送られてくる専門の学術文献を読んでチョコレートの制作にも役立てている。
シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん
弘前大学と共同で研究している香りの分析データ。カカオ豆の産地、焙煎温度、時間などによってどんな成分が強く出るか細かく分析。

弘前で行われた「ロマンスラボ展」は、そんな須藤さんのチョコレート探求の集大成のような展示会だ。「感覚の実験室」をテーマに、彫刻家、ミュージシャン、イラストレーター等、様々なアーティストとコラボし、匂い、音、触感などが味覚にどんな影響を与えるのか、五感をフル回転させてチョコレートを楽しむ体験型アート。例えばチョコレートの香気成分を分解した様々な香りを嗅いでみたり、食事時の音のサンプリングや音楽を聞くとチョコレートの味にどんな変化があるか試したり、漫画を読んで、その世界観をイメージしたチョコレートを部屋の明かりの色を変えて味わうとどんな感じがするか、途中までできた詩を読み、チョコレートを食べることで言葉を紡ぎ出し、完成させるなど、どれもかなりユニークで興味深い実験的な試みである。夜にはソムリエと一緒に体験型のバーも登場する。

 

シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん
ロマンスラボ展の会場はまるで実験室のよう。

取材の最後に、「実はこんなのもあるんですよ」と冷蔵庫から一本のビールが出てきた。同じく地元弘前のブルワリー「Be Easy Brewing(ビーイージーブルーイング)」とコラボしたビールだ。「好きだんず -Chocolate Milkshake IPA」(「好きだんず」は、津軽弁で「好きなんだ」の意味)と名付けられたこのビール、チョコレートビールというとスタウト系が多い中、こちらはIPA。さっぱりとフルーティーでトロピカルな味わい、後からほんのり甘くカカオの香りもあり、今までにないビールだと好評を得ている。ビーントゥーバーを作るときに、どうしても大量に出てしまうカカオハスク(カカオ豆の殻)は本来廃棄されてしまうことが多いのだが、これをビールに浸漬して熟成させることで独特の味わいになる。カカオニブも足し、より深い味わいに仕上げられている。

「カカオハスクはカカオが発酵するとき果肉に一番近いところにあるので、香りもしっかり出るんです。一般に売っているものではないから通常は手に入りにくいけれど、ビーントゥーバー工房では大量に余っているもの。地域で循環させてより良いものを作るこのような施策は今後もどんどんやって行きたいし、まさに自分がやりたかったことの一つです」

青森に店がなかったら、こんな機会は得られなかったかもしれない、と須藤さんは言う。今後も地域を巻き込んで、様々なジャンルの人とコミュニケーションを取りながら、カカオをもっと多面的に楽しめて、食育にも繋がるような企画を考案中だ。その一方で香りの分析の精度を高め、いずれもっと汎用性のあるデータとして、一般の誰もがそれを見て応用できる教科書のようなものを作りたいと考えている。やりたいことはまだまだたくさんある、と言う須藤さんの躍進はこれからもしばらく続きそうである。

 

シリーズ「酒とカカオと」Vol.3<br>アトリエAirgead(アールガッド)須藤銀雅さん
地元のブルワリーとコラボしたチョコレートビール。爽やかでフルーツデザートを食べているような味わい。

文=江澤香織

写真=川しまゆうこ

 

【Profile】

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